2000年6月掲載

ボケオ県にあるラオス最西端の古代都市

 ゴールデントライアングルのラオス領(タイのチェンセンの対岸)は、ボケオ県となり、ラオスにとっては、ゴールデントライアングルにあたる部分が国の最西端となる。この地区はボケオ県トンペーンであるが、ここにスヴァンナコームカムと呼ばれた古代都市の遺跡がある。スヴァンナコームカムの名は、現代の地名でもなく、ガイドブック等にも紹介されていなかったので、「スヴァンナコームカム縁起」という古伝承をご存知の北タイ古代史・ラオス古代史研究家以外の方には、全く初めて接するものではなかろうか?

 この場所は、タイ=ラオスでメコン河をはさんで国境が開放されているチェンコン=フエサイ地点からメコン河を約60km遡った地点になるが、昨年(1999年)、ラオス政府関係機関(the Ministry of Information and culture/the cultural and service of Bokeo province)から「Souvannakhomkham – An ancient city of Laos」(英語・ラオス語併記、巻末のリーピー縁起はラオス語のみ)が発刊された。

 同書によれば、初期調査で1万ヘクタールの広さに寺院、ストゥーパ、仏像、貯水池など44の遺跡があるとのことだが、多くは盗掘にあったりして荒廃したままになっている。そんな中で、高さ7.22mの瞑想姿の大仏像は、仏像本体は破壊から免れ現存している。この大仏像は、ラオス領ボケオ県トンペーンの町からメコン河を南下するか、道路で約5kmほど離れた所に位置するタイの現在のチェンセンの町の対岸の場所にあり、ボケオ県のドンタート村とホムエン村の間にある。もともとこの地はメコン河に浮かぶ中州の島であったが、その後メコン河が流れを変えて島でなくなったと見られている。

 スヴァンナコームカムは、その後、ナガナコーン、ナコンシェンラーオ、ナコングンヤーン、ヒランヤナコーン、ナコンシェンセーン(古代)といろんな名前で呼ばれることになるが、この町がいつごろ誰の手によって作られたかは、5世紀にこの町の名前がでる伝承があるが、錯綜するいろんな古伝承しかなくはっきりしたことはわからないようだ。町の建設者は最初はクロム(古代カンボジア人)であったと思われ、その後、タイ系民族が登場してくる。上記の書では、ナコン・ポティサン・ルアン(現在のラオス領タケク)の王の一族が、メコン河を遡ってスヴァンナコームカムを最初に建設するという伝承が紹介されている。

 現在の遺跡の大半は、ナコンシェンセーン期のものと見られ、ランナー王国とランサーン王国の国王を兼ねた16世紀のセーターティラート王がメコン河両岸に町を建設・修復(中心は現在のラオス領側)したが、同時代、ビルマ軍の侵略によって破壊されたといわれる。北タイのランナー王国を創始したメンラーイ王もナコングンヤーンを拠点としていたタイ族系首長の末裔といわれ、主としてチェンマイに都を置いていたランナー王国ではあったが、第3代ランナー王・セーンプーは、1327年、かつてのナコングンヤーンの地でその後荒廃したままになっていた地にナコンチェンセーンの町を再建し、ここに一旦首都を移している。

 尚、タイのマルクス主義者の詩人かつ学者であったチット・プーミサクは、「スヴァンナコームカム縁起」を研究した人物の一人である。

「Souvannakhomkham – An ancient city of Laos」
・Institure for Cultural Research Ministry of Information and Culture
・Service of Information and Culture Bokeo Province
1999年発行
1,000部初刷
全32ページ
13 X 19 cm (大きさ)
10,000キープ(価格)
ラオス語・英語(一部、ラオス語のみ)

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