「山田長政の密書」

中津文彦 著、
1989年10月、講談社
ISBN4-06-193986-6
(1989年10月、講談社創業80周年記念推理特別書き下ろし作品として講談社より刊行)

 

 


《文庫版》 「山田長政の密書」
1992年11月、講談社文庫
ISBN4-06-185280-9

 

 

本書は、江戸時代の初期、シャム(現在のタイ国)に渡って活躍したと伝えられる山田長政の生涯とその謎に包まれた死の真相に迫る歴史推理小説。著者は、『黄金流砂』で第28回江戸川乱歩賞を受賞した新聞記者出身の作家・中津文彦氏。山田長政については、日本側の史料が不足していることに加え、シャムの歴史記録には人名ではなく階級や職名で記載されていることもあって、その実在を疑う見解もあるが、1630年代にアユタヤのオランダ商館長をしていたエレミアス・ファン・フリートの手記『シャム革命史話』の中に詳しく書かれているシャムで活躍した日本人「オーヤー・セーナーピモック」が、一般には山田長政と比定されている。

1620年代にソンタム王の治世下(在位1610~1628年)にあったアユタヤで急速に頭角を現わし、王宮内で重く用いられた山田長政は、ソンタム王の死後、マレー半島中部にあるリゴール地方の総督として内乱鎮圧を命じられ赴任したが、その間に王都アユタヤではソンタム王の後継をめぐる一大ドラマが展開し、ソンタム王の母の兄の子、シーウォラウォンが王位を奪いプラサトーン王となっていた。そして山田長政はリゴールの地で、前リゴール長官の弟オークプラ・ナリットに毒の膏薬を貼られ毒殺されてしまう。山田長政の毒殺は、新王プラサトーンの指令によるものだったろう、というのがこれまでの歴史家の判断だった。しかし、謀殺指令はまったく意外なところから発せられていた・・・。

長政の謀殺の真相を知った時、著者がこれまで抱いていたいくつかの疑問が初めて氷解していったと、本書プロローグに記している。その疑問とは、”例えば、これまで長政に関する史料が日本にほとんどないのは、彼が若い時に無名の身で日本を離れたせいなのだろうかと思っていた。しかし、よく考えるとそれはいささかおかしい。彼がシャムと日本の外交や貿易促進の橋渡し役として活躍した1620年代には、渡航当時とは違ってもはや無名の人ではなかった。公式記録にもっと登場してもいい重要な立場にあったはずなのだ。にもかかわわらず、なぜ彼は歴史上のさまざまな文献から抹殺に等しい扱いを受けているのか。そのわけがようやく納得できた。”

プラサトーン王が、「長政を殺せば、リゴール長官に復帰される」といった解任された前リゴール長官への密書を送り、長政から信頼されていた前リゴール長官の弟が、パタニー軍との戦いで傷を負った山田長政に毒の膏薬を貼って毒殺したと、一般には語られているが、本書では、山田長政が長崎奉行宛に書いた密書に、長政謀殺の謎が秘められているという設定だ。ここから本書タイトルも、「山田長政の密書」と謎めいたものになっている。

長政謀殺の謎だけでなく、本書主人公の南海の風雲児と呼ばれるにふさわしい山田長政の波乱に富んだ生涯も、非常に劇的に描かれている。沼津藩主・大久保治右衛門の六尺(駕籠かき)だった長政が江戸勤番のとき、他藩の侍に絡まれた同僚を助けようと相手の侍を殴り殺してしまい、幼馴染の手引きで、長崎で南方に向かう木屋弥三右衛門の朱印船に無断で乗り込む。こうして日本からシャムに渡った長政は、ソンタム王の信頼を得て、遂には貴族待遇の親衛隊長にまで登りつめる。アユタヤ王朝内部の王位継承をめぐるドラマも壮烈だが、アユタヤ王国と隣国カンボジアやビルマとの戦い、そこで活躍する日本人部隊の様子なども興味深い。

それ以上に、本書で驚かされるのは、東南アジア、東アジアを舞台に繰り広げられた国際諜報戦、謀略戦の凄まじさだ。当時のアユタヤは、東洋のというよりは世界での一、二を争う貿易の中心地だったが、そこではポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスなどの西欧列国と日本との間で壮絶な経済戦争が展開されていた。

本書の更なる面白味は、東南アジアで展開されるドラマが、日本史の謎めいた事件や変革期の激動状勢と大きく絡んでいることであろう。最後の戦国武将と言われる伊達政宗の影もちらついている。本書の描写で印象的なのは、バラモンの船出の占いの場面であろうか。帆柱に逆さ吊りになった若者が、体を振って離れた前の帆柱に吊るされた護符を取れないとその船の航海はうまくいかないという船主にとっての重要な行事で、長政が乗り込んだ朱印船が泉州港を出港する際にこの場面が登場している。

本書の目次  (文庫版)

プロローグ
第1章 南の国へ
第2章 ソンタム王との出会い
第3章 戦いの日々
第4章 陰謀と対決
第5章 栄光と逆光
エピローグ

解説 伴野 朗

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