2000年5月掲載

ナーン王家に伝わった黒象牙が安置される国立博物館

 タイ北部の北東部にあり、ラオスと長い国境を接するナーン県は、その地理的な条件もあって、北タイの中でも長く独自の文化を保ちつづけた県といえる。長い歴史を持つナーンでは、バンコク王朝後も旧来のナーン王朝家血統の領主による半自治の制度が1931年まで続いた。このようなナーンの歴史・民族・文化を知ることができる場所としてナーン国立博物館がある。ナーン市の中心部に位置しアクセスが容易で、博物館のすぐ隣は、北側はフアクアン寺、東側はプラタート・チャーンカム・ウォラウィハーン寺、南側には壁画で有名なプーミン寺と、観光にも都合が良い場所にある。

 この博物館は、元は1903年当時のナーン領主スリヤポン・パリットデット(在位1893年~1918年)の御殿として建てられたものだ。その後を継いだ弟のマハプローム・スラターダーが1931年亡くなったとき、タイ政府はこの機会にナーンの半自治の状態にピリオドを打ち、領主を廃止した。

 ナーン領主家の子孫は御殿の土地と建物をタイ政府に提供し、一時はナーン県庁舎として使われた。内務省が現在の県庁舎の地に新しい建物を建てた後は、芸術局が1974年より博物館として使うことになった。しかしながら予算の不足により、整備が進まず、1983年になり展示を非公式に開放するようになり、1987年国立博物館として正式にオープンとなった。

 博物館は、ニ階建ての建物で、一階は、北タイ人の住居、農具・民具、織物・祭りなど生活様式に関わる展示コーナーとなっており、更にナーンに住む少数民族の衣装や習慣が紹介されている。紹介されている民族は、モン族・ヤオ族以外にナーンらしく、タイルー族(特にナーンにおけるタイルーについてここで別途紹介する予定)、ピートンルアン族(ムラブリ族)、それにティン族(北ラオス、北タイの一部に住む南亜語系)である。

 一方階上は、歴史関係となっており、考古品、仏像、石碑、ナーン王室関係品などが展示されている。なかでも一番有名なのは、黒象牙である。年代を証する物はないが、ナーン朝の支配者間で代々王朝を象徴するものとして大事に伝えられてきたものである。ナーン朝最後の領主チャオ・マハプローム・スラターダーによれば、チャオプラヤー・カーンムアン王(在位1353年~1368年)が最初にこの黒象牙を得、国事の呪術的な儀式に使われてきたとのことであるが、黒象牙そのものは、チェントン(現ミャンマー・シャン州)から得たものと言われている。象牙の長さは94cm、重さ18Kgで、鼻との摩擦の跡から左側の牙と見られている。

 この他にも、ランナー様式の各種スタイルの仏像も多く展示されているが、スコタイ文字で書かれた石碑が興味深い。これはプラタート・チャーンカム・ウォラウィハーン寺から発見されたもので、内容はナーン王朝とスコタイ王朝との同盟の誓いであるとのこと。同じような内容が、スコタイのマハタート寺で発見された石碑(西暦1392年作成)にも見られ、スコタイ、アユタヤ、ランナー(チェンマイ)、パヤオ、プレー、ナーンの王朝がひしめいた13~15世紀の北タイの政治状況が偲ばれる。

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