「インドシナの星条旗」

檜山良昭 著
中央公論社(C-NOVELS)、1987年8月
ISBN4-12-500091-3

 1980年代後半の国際情勢を背景にベトナムをめぐり繰りひろげられる国際謀略小説であるが、ストーリーの主たる重要な舞台は、マルコスの失脚亡命に至った1986年の「2月革命」を経たフィリピンだ。このサイト・メコンプラザでは、ベトナムが位置する東南アジア大陸部を「メコン圏」とまとめて地域圏として見ていくため、ともすると海をはさんでのベトナムとフィリピンとの距離と関係について見落としがちだが、本書を読むと、ベトナムとシンガポールとの距離と関係も含め、この点について改めて気付く事になる。

 本書では特に、フィリピンのルソン島の西南西、ミンドロ島とマレーシアのボルネオ島の間に位置するパラワン島が重要だ。このパラワン島を中心とし多数の島々から成るパラワン諸島はフィリピンで最も大きな州(パラワン州)で、州都はパラワン島の中部に位置するプエルト・プリンセサ。この州都の北側のホンダ湾近くにはベトナム難民キャンプが設けられ大勢のベトナム難民がフィリピン領内で生活してきた。この島の真西に位置する南シナ海の島々が、ベトナム、中国、フィリピン、マレーシア、ブルネイの6カ国地域で領有権を主張しあってきたスプラトリー諸島(中国表記は「南沙諸島」、ベトナム名は「チュオンサ諸島」、フィリピン側の呼称は「カラヤアン諸島」)。

 本書の主人公の一人は、32歳の独身男性でフリーカメラマンの鏑木光彦。負けん気が強い性格で、東南アジアを放浪しておもに東南アジアの陰や闇の部分を撮り続けてきた。この鏑木光彦が、フィリピンへの撮影旅行の帰途、マニラ空港で、見知らぬ日本人男性から一通の封筒をことづかったが、その直後、男は空港内で射殺された。持ち帰った封筒の中の一枚のメモと個人宛の手紙を求めて、帰国後の鏑木のもとにはさまざまな方面から接触の手が伸びはじめる。

 またマニラ空港で日本人が射殺された日の数日前、フィリピンの漁船と見られる船がベトナム南部のコンソン島の沖で、ベトナムの哨戒艇に攻撃され、漂流していた東洋人の乗組員の一人が貨物船に救助されてシンガポールの病院に運ばれる。しかしこの男は病院のベッドで射殺されてしまうが、在シンガポール米大使館の情報担当官が事件を内密に調査しだすなど、この事件の背景にも国際的な陰謀のようなものがありそうだ。

 鏑木光彦がマニラ空港で預かったメモには、「オーヴァーロードⅡ」という暗号名が記載されており、この意味するところが気になるが、1944年6月6日、第2次世界大戦中、連合国軍が行った北フランス・ノルマンディーへの上陸作戦が、「オーヴァーロード作戦」と呼ばれていたことを想起すると、本書タイトル名『インドシナの星条旗』からも、その暗号名の意味するところは、推察しやすいかもしれない。時代はまだソ連崩壊前の冷戦が続く1980年代後半で、軍のカンボジア駐留を続けるベトナム、ベトナムとの間で険悪な関係を続ける中国に、アメリカやソ連などの思惑がからむ国際情勢が、この小説の背景にある。

 鏑木光彦と並ぶ本書ストーリーの準主人公ともいえるのが、シンガポール刑事公安警察に勤務するオン・ベンブン警部補。祖父の代に四川省からシンガポールに渡ってきた華僑で、仕事は主にインドシナからの難民や密入国者の取締りであるが、50歳前後の小柄でぱっとしない風采の男で、スマートで正義感に満ちた男というのでは全くなく、なかなか味のある印象的な登場人物だ。他にもCIAやKGBにつながる人物など、いろいろと多彩な人物が本書には登場するが、在外ベトナム人も含まれる。

 クアラルンプールに住み表向きはベトナム人相手の新聞社を経営しているが、実はベトナム公安省の対外工作局の工作員であるベトナム人、元ベトナム解放戦線の政治委員だったが、南ベトナムの「北ベトナム化」に嫌気がさし亡命しシンガポールで雑貨屋を開きながらベトナム難民の救済活動にあたっている男などだ。更に、かつての南ベトナムの政府関係者や政府が加わっている戦闘的な在外の反ベトナム政府組織や、北のやり方に反対して亡命したもののかつて南ベトナム政府と戦った解放戦線の支持者が多く南ベトナムの民主化と民族統一連合政府の樹立を主張している別の在外の反ベトナム政府組織も登場させている。

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