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- エッセイ(村山明雄さん)「ラオスからの手紙」, 企画特集
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第2信 ラオス正月2002年4月
(2002年5月号掲載)
2002年4月14日 ビエンチャンにて
国連ボランティア 地下水開発エンジニア
村山明雄
ラオス正月おめでとうございます。いかがお過ごしですか。ラオスには長く住んでいますが、シェンクアンに住むのは初めてなので色々と勉強になります。いまお正月休暇でビエンチャンに帰っています。皆さんはいかがお過ごしですか?
言葉
ここは低地ラオでもプアン族の町、ポンサワンではあまりそうではないけれど、ちょっと田舎に行くとビエンチャンとは全然違います。特徴として高子音のKhの発音がRに変わります。例えば、腕のケ-ンがへ-ンになるとか。こういった言葉は知らないとわかりません。
それと母音の「アイ」でマイムアンとマイマラーイが違っていることです。これはルアンパバンもそうですが、ビエンチャンの発音に慣れた私にはとまどいます。ラオス北部の発音の特徴としてマイムアンの「アイ」の発音が各地で違っているのでしょう。調べて研究するといいかもしれません。またタイダムの言葉、高地ラオの言葉もラオス語にミックスされているようです。わたしの場合は、普通にラオス語を喋っているのにタイ人に間違われる事があります。彼らにとってビエンチャンの発音はタイ語なのでしょうか。
戦争の被害
ポンサワンに住んでいるラオス人に聞いてみると、シェンクアン県のラオス人はみんな悲しい過去をもっているようです。1964年から73年まで、とくに1969年からものすごい空爆を受けて、家では生活できない洞窟のなかに逃げないといけない状況だったようです。家は総て破壊され尽くし、牛、水牛、鶏などみんな殺されて、空からは爆弾が毎日降ってきて、ナパーム弾、照明弾、地雷、砲弾など、不発弾はいまだいたるところにあります。
当時はベトナムに逃げた人、またワンパオに強制的に連れられてビエンチャンに避難した人に分かれたそうです。ビエンチャンから国道13号線を北にあがっていくと、そういった昔の避難民の村があります。ナガ-村などシェンクアンから逃げてきた人の村です。1975年になるとほとんどの人達は故郷に帰りましたがビエンチャンに残った人もいます。したがってあのあたりの人の言葉はシェンクアン訛りだそうです。
お寺
第1信「シェンクアンからの御挨拶」でお寺が少ないようだと書きましたが、実際はあります。数は多くはありませんが。ポンサワンの町で3つあるそうです。
ただしビエンチャン近郊、ビエンチャン市街のお寺と違って豪華なお寺ではありません。だからバイクで近くを通ってもよくわからなかったのです。私が訪れたたお寺は、ポンサワンとク-ン郡の途中にありました。トタン屋根の高床式のお寺でよく見ないと普通の家と間違えてしまいます。托鉢も毎日しなくて戒律の日だけ。他は檀家さんが毎日御飯を持って来てくれると言っていました。やはり戦争のため復興が遅れているのかもしれません。そのため経済的に余裕がなく托鉢も毎日できないのか。ここらへんはもっとラオス人に聞いてみないといけませんが。
不発弾
今回UXOラオ、不発弾処理をしているラオスの機関を、日本人の北沢杏子さんという性教育実践者であり映像作家の方が取材された。私も北沢先生の取材をお手伝いする機会を得ました。
今年の3月15日に現場で不発弾処理を行っていたラオス人職員2人が不発弾が爆発して亡くなる事件があった。これはマスコミを通じてラオス国内でも報道された。今回はその亡くなられた方の家に取材に行った。ビデオで旦那様を失った奥さんにインタビューして私がそれを通訳するのであるが、本当に通訳していてつらかった。奥さんが当時の事を思い出して涙を流し始めて、横にいるのは残された子どもたち。私も泣きながら通訳していた。
亡くなられた一人は42歳でほとんど私と同じ年であった。残された奥さんがこれからどうやって子供を育てたらいいか、一家の大黒柱を失ってこれから誰に頼って生きていけばいいか。見ていて本当につらかった。戦争が終わってもう27年になるのに、まだ戦争の犠牲者がいるとは。
その他にも県立病院で、不発弾により左目を失った32歳の男性、足を負傷した5歳の子供に会った。失明した人は、焚き火をしていてどうもその下に不発弾のボンビーがあってそれが爆発したようだ。シェンクアン県は寒いので焚き火をすることが多い。したがってこういった事件はよくあるようだ。付き添いにきていた奥さんは本当にかわいそうだった。
まだ破片が目の奥にあるので眼球を摘出して義眼をいれなければいけないという。
つくづく人間は恐ろしい。こういった兵器をつくる頭脳を、資金をもっと別のことに使えば世の中はもっと平和になるのに。頭を使う方向を間違えたとしか思えない。
お正月のメッセージなのでもっと明るい話題をみんなに送りたかったのですが、暗い話になってしまいました。だけど現場で実際に傷ついた人、悲しんでいる人を見ていると、私にできることはこの事実をもっとたくさんの人に知ってもらいたい、日本の皆さんはベトナム戦争はよく知っているが実際はラオスにも爆弾が落され戦場になった、そのためにいまだ罪のない人が傷ついていることを知ってほしいと思いました。私も以前、インドシナ難民の定住センターでボランティアとして働いていたが、今回は逆の立場からラオスを見ることができました。私のラオスに対する理解も深まったと思います。
最後にUXOラオスの職員ですが、現場での彼らの活動をみていて本当に頼もしく思えました。いい仕事をしている人の顔は本当に輝いていると思いました。こういったプロジェクトに対して外国の援助が増えればいいと思っています。
4月12日シェンクアンは雨が降っていて、お正月の水掛もビエンチャンみたいのどさっとかけられない天気でした。ラオスは本当に広いですね。
それでは皆様、今年もよろしく御願いします。これを読んでいる皆様の家族が平和で生活できる事をお祈りしています。
(C)村山明雄 2002- All rights reserved.
村山明雄さん(むらやま・あきお)
(桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人)
シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。<連載開始時>
奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ
地下水開発エンジニア (電気探査・地表踏査・ 揚水試験・電気検層・ 水質検査)
ラオス語通訳・翻訳、 エッセイスト、経済コンサルタント、エスペランティスト、無形文化財上総掘り井戸掘り師
著作「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版、翻訳「おいしい水の探求」小島貞男著、「新水質の常識」小島貞男著