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第13信「ラオスに住む中国人」「ラオス華僑の結婚」など
(2004年5月号掲載)
2004年6月17日
皆さんお元気ですか?
桜ちゃんのパパです。先月5月22日は、実は私と淑珍の結婚10周年だったのです。本当に早いものです。あれからもう10年もたったのです。子供も長女の桜が今年の7月で9歳、次女の蘭が2月に6歳になりました。子供の成長は早いけれど、親が年をとるのも早くなりました。私も今年の1月で45歳になりました。本当に月日の経つのは早いですね。この間、ラオスはずいぶん経済的に発展しました。
さて、我々の結婚10周年と同じなのが、タードウアとタイ側のノンカイに出来た友好橋。これはラオスとタイの友好で、我々夫婦は日本とラオス、中国、ベトナムと結ぶところが多くなっているところが特徴です。我々も色々な国の人と仲良くしないといけないと思います。
さて、通算でラオス生活13年(7月で14年目)になったわけですが、ラオスにこんなに長く住んだだ理由は何でしょう。まず、協力隊の任期が終わり結婚することになった時、妻を日本に連れて行きたくなかったのがその理由です。これは昔、インドシナ難民の定住センター(神奈川県大和市)で働いていた経験からのものです。難民として祖国を離れたインドシナ3国(ラオス、ベトナム、カンボジア)の人たちが日本での生活に苦労しているのを垣間見て、自分はこういったことは妻に経験させたくないと思ったからです。しかし逆に困ったことはというと、それでは私がこのラオスでどうやって御金を稼いで家族を養っていくかです。御存知のようにラオスには日本の民間企業がほとんどなく、JICAや大使館の仕事以外、なかなかいい仕事がないことです。
とはいうものの、結婚後、国連ボランティア(2回)、JICA専門家(1年)そし
て、自営業(ラオス語通訳・翻訳・出版業、地下水開発エンジニア)という仕事でなんとか今まで生活していくことができました。この間、短期ですが地下水のエンジニアとして民間NGOの仕事でカンボジア、ミャンマー、フィリピンにも行ったことがあります。
ラオスのいい点は、色々な民族の人が住んでいるので、生活の規範が日本ほどうるさくない事でしょう。日本にいると「日本人だったらこうするべきだ」という無言のプレッシャーが余りに強く、外国から来た人にとってそれが大変だと思います。「あなたは日本に来たのだからこうあるべきだ」それが大変だと思います。そう言う意味でラオスは色々な人が住んでいて、お互い干渉しあわないで暮らしているところがいい点ではないかと思います。したがって私も別にラオスに無理に同化しているわけではありません。ラオスに住んでいる日本人、ラオス華僑と結婚した日本人、これが私の行き方です。
例えば中国人、華僑です。ラオスで生まれても華僑のしゃべるラオス語は、発音がおかしいですね。妻の兄弟でもそうです。特に女性。早口で舌が短いのでなかなか聞き取りにくい。妻の妹の梅ちゃんは15人兄弟に15番目。たしか1974年生まれですから、今年で32歳。彼女は客家の家に生まれたけれど、客家は家族の中で一番下手です。それでも生まれて最初に覚えた言葉がラオス語でなかったから、客家よりラオス語のほうが上手だけど彼女のラオス語は中国人のしゃべるラオス語です。ラオス人のしゃべるラオス語とは違います。この旦那も同じ客家人。彼のラオス語もわかりにくい。梅ちゃんが結婚して新しく住居をかまえた時、町内会長が梅ちゃんに「貴方の旦那はどこから来た中国人だ?彼の言ってる事はさっぱりわからない」と言われたそうです。そして梅ちゃんに「あんたの方がまだましだ」と言ったそうですから、梅のラオス語もラオス人に言わせ
る、華僑の話すラオス語のようです。
パクセから来た淑珍の友人も同じです。彼女の亭主もラオス生まれなのに、生活は中国人そのままです。ラオス料理は食べないし、あるパーティーで御酒の回し飲みでコップが回ってきても、皆が口をつけたコップは汚いから、自分の持っているコップに酒をいれてくれ、このように言ってたのを覚えています。家族でも中国語でしゃべっているようです。
また蘭チャンの中国語の先生もベトナムから来た華僑(広東人)です。寮都学校の卒業生で、もう10年もラオスに住んでいるのにやはりラオス語は中国人のしゃべるラオス語のようです。うちの妻にも「ボー・チェーン(発音が不明瞭)」だとよく言われています。
こういった人でもラオス人なのです。ということで、私もラオス語を職業としてい
て、常日頃、これに磨きをかけているつもりですが、こういった華僑の連中を見ていると、あの人のラオス語もこの程度なら、と一種の開き直りたくなることがあるのです。たぶん、ベトナム系の人はまた独特のアクセントになるだろうし、ラオ・スーン(高地ラオ)の人はやはり生まれ育った両親の言葉のアクセント・発音が抜けないでしょう。これは仕方がないことでしょう。しかしこういった色々な人がお互い仲良く暮らしているラオスは、そういった意味でストレスのない、暮らしやすい社会なのかもしれません。
ただし、ラオス語が下手だと商売で儲ける可能性は低いでしょうね。淑珍の父は今年84歳ラオスで生まれて、途中で小学校は中国に勉強に行って、それからベトナムで仕事をして、結婚して、およびラオスに帰ってきた中国人です。通算50年以上はラオスに住んでいるのにそのラオス語は私より下手です。だから貧乏だったのかもしれません。逆にこの義理の父の妹で現在はフランスに住んでいるおばあさんですが、この人ははラオス語ができます。商売上手でラオスに住んでいる時から御金持ちでした。もちろん家では客家語ですが、ラオス語もできます。やり手の華僑は付き合ってみるとわかりますが、口八丁手八丁でラオス語も上手いです。このうまいというのは口が上手いという意味です。したがってこういった人は商売でお金持ちになれるのでしょう。
さて、面白い話をひとつ。
中国から来た中国人がラオスの寮都学校に入学しました。彼はラオスに来たばっかりなのでラオス語は全然駄目です。ところがこの彼はあるラオス人の女の子を好きになったのです。悪友にラオス語で「我愛ニー(I LOVE YOU)」はラオス語でなんて言うのか聞きました。この友達、悪ふざけがひどくて「シー・メー・ムン」と教えたのです。この言葉は小生の「楽しくて為になるラオス語」を読めばわかるのですが、「お前のかアチャンと一発やれ」という極めて汚い罵り言葉なのです。さてこの中国人さんがこの汚い言葉をラオスの彼女に言ったかどうか、私は知りませんが、何年か後に見事ラオスの女のこと結婚したようです。
さて、華僑の結婚ですが、このごろは華僑の男性はラオス人と、そして女性は売れ残って結婚できないケースが多いようです。華僑の女性はどうしても同じ中国人と結婚したがるようです。またお父さん、家族の意見も強く反映されます。最初に出てきた15番目の梅ちゃんです。寮都の同級生で梅ちゃんを好きになって、よくサムセンタイの店にアイスクリームを食べに来ていました。ただどうも女好きでプレイボーイとのことで、淑珍が追い出して別れさせたようです。彼の家はお父さんも中国人でお金持ちだったのですが、家族に気に入られなかったので破局になったわけです。さてつい最近、友人の家に行ってCDを見ていた時、実はこの梅ちゃんに振られた男がCDの表紙にでているではありませんか。そのCDはラオスの結婚式の歌がはいっています。花嫁の家に行く花婿行列に出ているのが昔の彼なのです。梅ちゃんに振られた彼はラオス人の女の子と結婚して、その結婚式のシーンがラオスの歌のCDとして発売されていたのです。
さて、義理の弟の奥さんもラオス人です。どうしてか理由を聞くと、華僑の女の子はデートに誘っても「お父さんが許してくれない」また古い華僑の考えにはやはり習慣・考え方の同じ華僑がいい、と思っているようです。したがって付き合いやすいラオス人の女性になったわけです。また華僑の女性は家が商売などをして自立していけるので、安い給料の人と結婚して生活のレベルを下げたくない、という気持ちもあるようです。
華僑と結婚して色々と見えてきたことを書きました。
ビエンチャンも今では中国の東北部や、雲南から来た中国人がいっぱいです。彼らの子供たちもそろそろ寮都の幼稚部に入ってきました。実際、次女の蘭の同級生にもこういった新華僑の子供たちがはいってきました。1クラス50人くらいの生徒で4人くらい、新華僑の子供たちがいるそうです。こういった華僑の子供たちが将来どうなっていくのか、また50年前に義理の父がベトナムから来たのと同じプロセスを通じて彼らもラオスに同化していくのでしょう。
それとつい最近、広東にいる義理の父の親戚からいきなり電話がかかってきました。義理の父のお姉さんの娘(つまり淑珍の従姉妹)に当たる人です。義理の父は晩婚だったので淑珍の従姉妹といっても向こうは70歳のおばあちゃんです。これも客家のネットワークで親戚がラオスにいるというニュースがむこうにはいったようです。本当に華僑の世界は狭いと思いました。本当にビックリしました。いつか遊びに行かないといけません。
(C)村山明雄 2002- All rights reserved.
村山明雄さん(むらやま・あきお)
(桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人)
シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。<連載開始時>
奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ
地下水開発エンジニア (電気探査・地表踏査・ 揚水試験・電気検層・ 水質検査)
ラオス語通訳・翻訳、 エッセイスト、経済コンサルタント、エスペランティスト、無形文化財上総掘り井戸掘り師
著作「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版、翻訳「おいしい水の探求」小島貞男著、「新水質の常識」小島貞男著