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第10信 「シェンクアンのベトナム料理屋」「謝ったラオス人」
(2003年7月号掲載)
2003年6月22日
ビエンチャン寮都にて
国連ボランティア 地下水開発エンジニア
村山明雄
久しぶりにビエンチャンに戻って来ました.2ヶ月ぶりです.皆さんいかがお過ごしですか.ビエンチャンはシェンクアンより暑いですね.さて今回のラオスからの手紙は、シェンクアンのベトナム料理屋を紹介します.御存知のように妻の淑珍は客家と越南のハーフ、ということで、我が家の少数民族は日本人の桜ちゃんのパパです.いつもラオスからの手紙は華僑の生活に話を絞っていたのですが、今回はベトナムの話。なにせベトナム人の血が娘には流れています.
シェンクアン県の中心、ポンサワンにはベトナム料理屋があります.店の看板どおりSEA FOODのお店として去年(たしか6月だったかな)デビューした新人です。オーナーもシェンクアン県の隣、ゲアン県出身のママさんが切り盛り(ちなみにゲアンはベトナム美人の産地とか)デビューのころは、烏賊が食べたいので時々通ったけれど、ラオス人の好きなヤム・サラッド・パームック(烏賊のサラダ)が注文してもできないのでそのうち行かなくなりました.
その当時は、お客も少なく、またママさんのラオス語も下手(今でも上手くない)ということで、メニューの品を注文してもあまり美味しくなく、すぐ老舗で外人客の多いサガ-・レストランにチェンジしました.(ちなみにサガ-・レストランをサンガーという人がいるがこれは誤り、おそらくアルファベットでSANGA と書いてあるガイド・ブックを見てサンガーと発音しているのであろう.しかしこれはラオス語の「荘厳」という意味のサガ-である.)
そして当時は夜なんかでもがらがら.ベトナムのテレビ番組が見られるので労働者と思われる連中がコーヒー一杯で、ベトナムのテレビを見ていたのを覚えています.それが今は大繁盛。といっても客の90%はベトナム人。ということはこれだけたくさんのベトナム人がラオスに仕事にきているのでしょうか.
私の義理の母もベトナム人なので、私はベトナム人は好きです.娘には4分の1、ベトナム人の血が流れていますから.それで次女の蘭も、中国、ベトナム、日本でもどの国でも通用する名前にしました.
しかし外人の多いサガ-に飽きた私は、ベトナム料理屋に挑戦した。以下、ベトナム料理屋の攻略法をレポートしましょう.
鉄則(1)メニューは無視(ベトナム人はメニューを見て注文しない)
ベトナム料理屋で一番美味しいのはベトナム料理である.したがってベトナム料理屋で、タイ風のヤム・パームックなど注文してもできるわけはない.また外人(欧米人)に食べさせる料理など無理である。(出来てもどうせ不味い、そして後回しにされるから時間がかかる) これはママさんも言っていた。ベトナム料理屋で焼飯なんて注文しても美味いわけはない.(焼飯ならやっぱりサムセンタイのうちの実家、これは女房の実家の宣伝、だけどこれは中国人が作ったほうが絶対美味しい)
まず、店に入ると「アン・コム」と叫んで厨房に入る。この行為は失礼ではない。「アン・コム」は「御飯を食べる」というベトナム語である.注意して観察すると他のベトナム人も皆そうしている.ちなみにこれが許されるのはベトナム人の店だけ、すでにラオスに定住した越僑の店ではちょっと無理である.
そして、ママさんに何が今日は美味しいか聞くのである。ちょうど魚料理を作っていればそれでよし、日によっては豚の角煮をやってる.これがあればすぐに注文(これは美味しい)。ママさんも客商売、どれが今日は美味いか教えてくれる.この点、ラオス人は違う。何が美味しいか?この店は何があるかきいても、答えは「ミー パー、ミー カイ、」(魚もあるし、鶏もある)、というような返事でベトナム人のように「これが美味いから今日はこれを食べなさい」という返事は帰ってこない。これはタイでもそうらしい.
私のように何でも食べる、食べ物にあまり文句は言わないけれど細かい注文を出すのが面倒な人にはこのお任せ式のベトナム・スタイルは便利である.
また厨房にある材料を手で指差して注文すればだいたいはずれない.
昔、ビエンチャンにあるこれもベトナム系の店の常連だった.ここはカオ・ラートナーといって御飯におかずを乗せてくれる。常連になるとおばさんが「あんたはいつも来てくれるから特別だよ」なんて言っておかずの盛りが多くなる.最初はサービスがいいなと思っていたら、結婚して女房に色々聞いたら、作り置きの店はおかずの売れが悪いと腐ってしまうから、みすみす腐らせるなら常連の客にサービスして盛りを多くするとのことである.なるほど、単純にありがたがってはいけないんだなと感じた.だけどそれはそれで良いサービスである.
ベトナム人といえば義理のお袋も昔は焼飯のフライパンを持っていた。自転車サムロの運転手なんかが来ると、可哀想だから、きっと御腹がすいているだろうから、なんていって大盛りで出してあげていたらしい。こういったところは東南アジアのいい点ではないかな.
鉄則(2)ラオス人の2倍働く
ベトナム人はラオス人の2倍働く。この店でもママさんと使用人の女の子だけでほとんど切り盛りしている.したがって店に入って、椅子に座っていても忙しい彼女達は注文を取りに来るのが遅れる。何故、2人しかいないのか.これはラオス人を雇うとお金をちょろまかされるのでは、そして給料が勿体無い.このような理由であろう.本当は4人くらいでやる仕事を2人でやっている.お金の勘定をするのもママさんだけ.使用人の女の子は料理を持っていったり、かたずけたり、基本的に現金は触らせない。したがって料理を食べても時間がなくてすぐに行かなくてはいけない時、勘定が大変である.こういった時、私は厨房に入っていきそこでお金を払って帰る.偉そうに椅子に座っていて何時までも勘定を取りに来ないとイライラしているより、この方が早い。もちろん料理の追加、催促など厨房に入っていって直接言う。イライラして苦虫を噛み締めたように椅子にふんぞり返ってるよりこの方が精神的にいい.
しかし団体客などでママさんが勘定する時は、お客の座っているテーブルに 自分も椅子を引いて座り、計算をしてくれる.私は最初これはびっくりした.勘定を頼んだらいきなり椅子をひいて横に並んで計算を始めるのだから。何か別のサービスかと思って勘違いしてしまった.ラオスの場合はカウンターで計算したお勘定を持って来るのが普通だが、ベトナム人は客の見ている前で計算してくれる.
日本で仕事の関係で、ある日本人女性2人と昼食を食べた時である.場所は新宿のビジネス街.注文しても料理がなかなか出てこない。日本のサラリー・マンの昼食時間は、だいたい重なるから、どこの店もお昼はラッシュである。幸い、私の注文した料理が早くきた.ところが前には御腹を空かして、苦虫を噛み潰した女性が私を見ている.とても美味しく食事をいただけない.やわら立ちあがってウエートレスに「早く彼女の分も持って来い」と言った。そうするとかの女性「村山さん、ここはラオスではないので止めてください」と言われた.私は二度とこの人とは一緒に食事しないと心に誓った.
妻の実家も食堂をしているので、いらちなラオス人は「明日じゃなくて、今日食べるんだぞ」と言って怒る人もいる.いずれにしろ何も言わないで、苦虫を噛み潰したような顔で人に不快感を与えて待っているなら「早くして」と言ったほうが精神的にどれだけいいだろうか.
しかし、人件費をけちるのもいいが、そうするとサービスが疎かになる。ポンサワンの犬肉屋でも夫婦2人でやっている.(去年、私が犬肉を食べて入院した店である。)さすが本場のベトナム人がやるだけあって、味はいい.しかし客が多い時は、一時間半も待たされてやっと犬肉が出てくる.食べて勘定になるとまた時間がかかる.これでは急ぎの時など行けない.やはり人件費というより、サービスも考えないといけないのだろう.ここらへんがベトナム商法の欠点である.
鉄則(3)節約.桜ちゃんのパパは見た
この店もベトナムのお酒、ラオスの「ラオラオ」のベトナム版か.これをポリタンクにいれて、ペプシの瓶1本いくらで売っている.
ある日、団体客が帰って女の子が机をかたずけている時、まだ半分くらい残っているベトナムの「ラオラオ」をポリタンクに戻しているのを見た。ベトナム風のお酒もラオラオと同じく、基本的にはガラスの御猪口に注いで飲むので、口をつけて飲んだわけではないのでまあ問題はないのだが.
この話をラオス人にすると.ラオスの食堂では、余ったラオラオは捨てる、やはりベトナム人は節約だな、ということでラオスにはこんな諺がある.
ラオ ターイ ニョーン キアット(ラオス人は 名誉の為に死ぬ)
ベト ターイ ニョーン パニャット(ベトナム人は 節約の為に死ぬ)
詳しくは「楽しくて為になるラオス語」 村山明雄 サクラ出版 1998年
だけど日本でも焼鳥屋のモツの煮込みなんか何回もお客の残したものを出すらしい.
逆に料理屋で食べきれないくらい注文して、包んでもらわないで帰るラオス人のほうが勿体無いと思う。料理屋に行って、お持ち帰りを頼むのはカッコイイ物ではないようだ.
ある人が中華料理を食べに行った。料理が何種類か余ったので、サイ・トン(ビニールにいれてくれ)要するにお持ち帰りにしてと頼んだ。その時、照れ隠しのためか、どうだったか知らないが「ハイ・マー・キン」(犬に食べさせるから)と言ったのだ。それをきいたウエートレスがビニールに、4・5種類の料理をごちゃ混ぜにして入れてお客に渡した.
それを見たお客「なんだ、この店はケチダナ、それぞれのビニールにそれぞれ料理を別々にいれないのか、味噌も糞も一緒にして」とウエートレスを怒鳴りつけた。
それに対してウエートレス「だって、お客さん犬に食べさせるって言ったじゃありませんか、それだったらごちゃ混ぜに入れてもいいでしょう」
ラオラオを飲み残した時、ラオスの飲み屋ではサイトンしてくれるのだろうか.そしてベトナムの飲み屋はどうだろうか.
鉄則(4)あけるなビールの栓
ベトナムの店ではビールの栓は開けないで持って来る.そしてお客が自分で開けるのである.しかしラオス人の店では店の人が開けてくる.日本でも高級クラブに行って高いお酒をボトルで注文するとお客の目の前でバーテンがボトルを開けてくれる.つまり贋物でないという証明のためである.こういった意味でベトナムの店は、お客に自分でビールの栓を開けさせるのか.
またラオスの飲み屋でも注文もしないのにビールを何本も持って来るところがあるらしい.
しかしこの場合は、開けた分だけお金を払えばいいわけだが.
しかし、このごろラオスでもビールのなかに変なものをいれて売る店があるので気をつけた方がいい.そういった意味で、ビールの栓をあけて持って来るラオスはまだまだ悪にそまっていないのか.
鉄則(5)英語は駄目
西欧人ご用達のお店、サガ-が混雑している時、たまにベトナム店にも彼らは来る。
桜ちゃんのパパが体得した技術も所詮西欧人で一見さんには無理。そしてこんな悲劇も。ある西欧人が、サラダを注文した。ところが出てきたのは、ラオスでフー(うどん)のつきだしにでてくるパック・サラド、これをお皿に持ってきた。(もちろんドレッシングなど何もかかっていない) たぶんイギリス人だと思うが、彼が食べたかったのは、ラオス語でいうニャム・サラダ(いわゆるラオス風サラダ)である.しかしママさんが理解したのはこの、サラダという単語で、パック・サラッダがこの人は食べたいと思ってそれを皿に載せて持ってきた。いかんせん、イギリス人は英語だけ、ママさんは英語が駄目で、ラオス語は少し、ということでこういった悲劇が生じたのだろう。やはり英語ではなく、その国の人の喋る事が大切だ.
鉄則(6)野菜いっぱい
華僑と結婚していうのもなんだが、中華は毎日食べると嫌になるが、ベトナム料理は、野菜がたくさんで、油も少ないので健康にいい.
他のベトナム人の注文をみてみると、必ず茹でた野菜を注文している.これにスープで、これは野菜を茹でたお湯に出汁をいれたものと思う。日本人には向いていると思う。
僕は小さい頃から、日本でもオコワなど嫌いだったから、カオニャオはあまり食べたくない.そういった意味でもベトナム料理は美味しい。
ということで、以上レポートしたのはラオスに来たばかりの越僑の話である.
これが40年くらいラオスにいると.ベトナム人もラオス人化してくるようである.この過程が義理の母のラオスでの50年だったのだろうか。いずれにしろラオス文化とベトナム文化の違いに苦労しながらたくましく生活していくのだろう.彼らを見ていると義理の父(客家)が50年前にハイフォンからラオスに来た時どうだったのか想像できる気がする.
「謝ったラオス人」
ラオスからの手紙でも、謝らないラオス人については何回か書いた.私もラオスに長年いて謝らないラオス人は何回も経験しているが謝ったラオス人の話をしましょう。
シービット君は、ビエンチャンのお寺で10年近くお坊さんをしていて、今年の2月に出家してきたばかり、私の配属されているプロジェクトでアドミニのビラコーンの弟である.そういったことで、シェンクアンに来て私の家の門番をやることになりました.お寺に長年いたシービット君、ものを上げてもちゃんとワイをして受け取り、私と喋る時は敬語で「チャオ」というわけで第1印象は良かった。ところが良かった最初の印象も2週間だけ。
私が忘れ物をして家に取りに帰ってもいないことが度々になり、そのうちに家の掃除が終わったらどこかに遊びに行き、帰って来るのは夕方、私が食事を終えて家のなかに引き込むとまたどこかに遊びに行っている.こういう状態が何日も続いた。
ある晩、私が食事をして家に帰ったらシービットがいない.またいない.ということでラオス人に対して忍耐力のある私もさすがに切れた.家に置いてあった空のビール瓶を5本位、そしてナンパーの瓶を、コンクリートのたたきに投げつけて全部割った.
しばらくしてシービット君、家にっ戻って来てビール瓶が割れていることに気がついた.そして掃除をはじめた様である.シービットを呼んで、パパは説教を始めた.この時もクビにしようとは思っていなかった.しかしこのように勤務態度が不真面目ではクビになって当然であろう.
当然クビにされると思ったシービット君、ワイをして私の足元に膝まついて「コート-ト」を何回も言うのである。これには私もビックリである.
後で、タイに15年ほどいる日本人にこの事件の顛末を説明すると、シービット君のようなケースだとすぐに首にされるとのこと.これはラオスでも当然であろう。シービットを私が切らなかったのは彼がビラコーンの弟、つまり同僚の弟、そしてシービットの肉体的問題に同情したからだ.彼のお母さんは妊娠している時中絶の薬を飲んで、結局流産できなく、シービットが生まれてきて骨に異常が生じた。したがって彼は肉体労働など全然できない.
ビエンチャンの華僑などを見ていると、使用人に対しては常に口うるさく怒っている。
そうしないと彼らが働かないからか、またお金持ちになればなるほど使用人にはいつも口うるさく小言を言っている.だからシービットの場合も、私のように爆発するのではなく、
何時も小言を言って注意していないと駄目なのだろう。しかしこれは実際、疲れる。言葉の問題ではなく、いつも口煩く、「アレしろ、これは駄目だ、こうしろ、」等など1日中指図するのは大変である.これができないと華僑でもお金持ちになれないのか.民主主義の教育を受けた日本人は、平等意識がはたらき使用人には厳しく出来ないのだろう.
さて何時も怒らない桜ちゃんのパパが怒ったのだから、シービットも反省したようで、ちゃんと仕事をするようになった。
暫らくして、彼が結婚するという話が私の耳に入ってきた.今度の土曜日に向こうの両親のところに行き、結婚の申し込みをする.色々と聞いてみるとジャ-ル平原の壷 No1よりまだ先の村の娘さんとか.
それでわかった.かれは門番の仕事をさぼって彼女のところにいつも通っていたのだ.
なるほど、そう言うわけだったのか.
物事は何事も2面ある.門番の仕事をさぼるのは行けない.しかし御寺に長くいた彼ははやく結婚したかったのである.物事、正悪は、100%悪いものもないし、100%正しいものもない.それぞれの立場によって違ってくるのだと思った。もし彼がちゃんと門番の仕事をしていたら彼は結婚できなかったろう.
ということで、入安吾の前にシービットの結婚式があるのだろう.私も出席しないと行けない.
ということで今回はベトナムの話でした。感想とかあったらメールで送ってくださいね.
(C)村山明雄 2002- All rights reserved.
村山明雄さん(むらやま・あきお)
(桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人)
シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。<連載開始時>
奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ
地下水開発エンジニア (電気探査・地表踏査・ 揚水試験・電気検層・ 水質検査)
ラオス語通訳・翻訳、 エッセイスト、経済コンサルタント、エスペランティスト、無形文化財上総掘り井戸掘り師
著作「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版、翻訳「おいしい水の探求」小島貞男著、「新水質の常識」小島貞男著