2003年4月掲載
複数の太陽の出現とそれを射る話(「射日神話」)と、隠れた太陽の呼び出し(「招日神話」)の話
◆「オンドリにはなぜトサカがあるか」
複数の太陽の出現とそれを射る話(「射日神話」)と、隠れた太陽の呼び出し(「招日神話」)を語る説話は、アジア東南部に広く分布するが、貴州省に流伝する苗(ミャオ)族の昔話は以下の通り。
『苗(ミャオ)族民話集 -中国の口承文芸2』 (村松一弥 編訳、平凡社、東洋文庫260、1974年刊)によれば、以下の話の前半の、複数の太陽を射る話は、ミャオ族のほか、台湾の高山族、雲南のラフ族、ハニ族、四川省涼山のイ族などにも現在語り伝えられている。後半の、かくれた太陽をニワトリが呼びもどす話もアジア東南部にひろく分布するもので、ミャオ族のほか、四川涼山のイ族、雲南のハニ族、そして、アッサムのナガ族にも、現在語り伝えられている。
昔、天には「天じいさま」と呼ばれるじいさまがいて、10人の息子がいた。人間たちはこの息子たちを「オテントサン」とよんでいた。じいさまのいいつけで、息子たちは毎日一人ずつ交替で空を見まわっていた。
ところが、日がたつうちにきちんと空の見まわりをするのが面倒くさくなった。そこで、あしたはみんなで一度に出て思いきりハネを伸ばそうということになったが、末っ子だけは尻込みしたので留守番とし、大空にゾロゾロ繰り出した。昼も夜もなしに9人は遊びほうけ、家に帰ることも忘れてしまった。
地上の人間こそいいつらの皮で、9つのオテントサンがジリジリ照りつけ、地面もカラカラ、作物もみな枯れてしまった。アカウシやシシに頼んで「テントウよ、とっとと帰れ」と大声をあげてもらったがうまくゆかず、人々の苦しみはつのるばかり。
せっぱつまった人間の長がひとりの勇士にテントウどもを射落とせと命じた。勇士が続けざまに放った9本の矢は、9つのテントウどもを射落とした。兄貴たちがつぎつぎに射殺されるのを見ていた末っ子は肝をつぶして、矢も届かぬ山のむこうに逃げ込み、2度と顔を見せようとしない。どこもかしこも真っ暗になり、畑を耕すにも機織りするにもたいまつがいる。みんなほとほと困ってしまった。
人間の長は知恵者たちを集めて相談すると、「あの9つのテントウどもは聞き分けもなく、人間をひどいめにあわせたから射殺しても当然でしょう。しかし末っ子だけはよび出して毎日の仕事をさせてみようではないか」ということで、やはりシシやアカウシに「テントウよ、とっとと出てこい」と声をあげさせた。ウォーとかモーッという声に、オテントサンはつぶやいた。「なんて野暮ったい声なんだ。出ていくもんか」と。
続いて頼まれたのがオンドリで、はじめはうまくいかなかったが発声の練習を重ねたあげく再びオテントサンに呼びかけた。
オテントサンはあまりの美声に、東の山のてっぺんから大地をのぞいて見た。すると、世のなかの人たちが手をたたきニコニコしながら歓迎してくれるので、いい気分になって、それからというもの、毎日の仕事を昔のようにきちんとやることに決めた。
オテントサンは、オンドリがスッカリ気に入って、自分のまっ赤な服のはしを切りとり、赤いきれいな帽子を作ってやった。だから今でもオンドリはまっ赤なトサカをつけている。オンドリが「オテントサーン、出ておくれー」というたびに、オテントサンは山のうしろから毎朝顔を出す、というわけだ。
引用文献:
『苗(ミャオ)族民話集 -中国の口承文芸2』(村松一弥 編訳、平凡社、東洋文庫260、1974年刊)
『稲と鳥と太陽の道 日本文化の原点を追う』(萩原秀三郎 著、 大修館書店、1996年7月刊)
●「射日神話」と「招日神話」との関係
山の洞窟に隠れた太陽を呼び出す「招日神話」の前には、きまって多数の太陽の話があり、太陽を射る射日神話がある。ミャオ族をはじめ、ワ族、ラフ族、ハニ族、プーラン族、リー族、ヤオ族、イ族、チベット族、チワン族、トン族など中国南部の各少数民族の射日・招日神話は必ずセットにあっていて、まれに射日神話が単独にあっても、招日神話に前段としての射日神話を欠く例はない。 (『稲と鳥と太陽の道』頁53●ニワトリ
ニワトリは、インド東北部から、ビルマ、タイ、マライ、中国の雲南にかけての一帯が原産地で、闘鶏用として飼養がはじめられ、朝を告げる鳥として分布が広まっていった。朝を告げることと、朝日との関連から、ニワトリを太陽の使徒として神聖視する観念も生じた。
わが『古事記』では、ニワトリは常世の長鳴鳥と記され、アマテラスオオミカミが、天の岩戸にかくれたとき、これをあつめて鳴かしたとある。(『苗族民話集』頁89