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ハリプンチャイ国立博物館
2001年1月掲載
北タイの中心地・チェンマイより、南に約26km下ったところにラムプーンの町がある。ここラムプーンは、日本企業が入居している北部工業団地で日本人ビジネスマンの間では、その土地の名を知られることになったが、かつては、ハリプンチャイ王国の都として栄えた土地であった。
このラムプーンは現在では県都といっても小さな町で、町の見所を見て回るにも時間はかからず不便を感じない。ハリプンチャイ国立博物館は、小さな町の中心を南北に走るメインストリートをはさんで、ワット・プラタート・ハリプンチャイの西隣りにある。
博物館の展示は、建物の2階の主展示ホール以外に、博物館建物の1階がオープン展示場として石碑の展示ホールとなっている。この石碑の展示ホールは見ごたえがあるが、建物内の室内展示でないため、見過ごしてしまう人も多いようだ。あるいは石碑には関心がないためであろうか、博物館の建物内の展示は見ても、この石碑ホールに寄らないで帰ってしまう人が少なくない。
この石碑の展示ホールには、全部で35の石碑が展示されているが、内7つが古代モーン語の碑文であり、残り28がランナー語の碑文となっている。ここの石碑の詳細については、別途紹介する。尚、この古代モーン語碑文は古いもので西暦11世紀~12世紀のものである。
主展示ホールの展示品は、ハリプンチャイ美術と、ランナー美術に大別される。ハリプンチャイ美術については、仏歴17世紀(11世紀中頃~12世紀中頃)以前と西暦12世紀中頃~13世紀末の時代に更に分ける事ができる。仏歴17世紀(11世紀中頃~12世紀中頃)以前のものについては、東北インドのパーラ帝国の影響を受けたものや、タワーラーワディーの影響を受けたものであり、特にパーラの影響が見られるものは、後期大乗仏教の伝播との関連で注目される。西暦12世紀中頃~13世紀末の時代の彫刻、塑像などには、後期タワーラーワディーの影響を受けたつながった太い眉、下を向きつりあがった目、少し開いた口などの特徴が見られる。ハリプンチャイ美術は、骨壺や水注などの焼き物にも見られる。
ハリプンチャイ王国の建国の時期については、チャームデヴィー女王が7世紀(663年)に即位したと言う伝承もあるが、はっきりしていない。ハリプンチャイ王国は13世紀末、メンラーイを始祖とするランナー王国に滅ぼされ、以後その支配下に入るが、もう一つの展示グループのランナー美術としては、このハリプンチャイ滅亡以降から現代美術までを対象として展示がなされている。