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「南総里見八犬伝」とヤオ族の始祖伝説
第6回 2000年11月号掲載
日本に伝わるメコン圏事物・事象
江戸時代の歴史伝奇小説「南総里見八犬伝」が借用した犬を始祖とするヤオ族の槃瓠伝説
「南総里見八犬伝」は、1814年(文化1年)から1842年(天保13年)にかけて刊行された江戸時代後期の人気小説であり、曲亭馬琴(本名:滝沢興邦、1767年~1848年)が48歳から76歳まで28年という長い年月をかけて書き上げた全106冊の労作である。NHKでの人形劇「新八犬伝」(1973年~1975年放映)や、角川映画「里見八犬伝」(1984年正月公開、薬師丸ひろ子・真田広之主演)、最近でもアニメ・ドラマなどにも借用され、「八犬伝」の名は広く知られてはいるが、「南総里見八犬伝」の原作そのものを正しく知る人はそう多くないのではなかろうか?
「南総里見八犬伝」は、室町中期に勃興する実在した房総里見家の話と種々の伝説を組み合わせて創作され、仁義礼智忠信孝悌の文字が浮き出る8つの霊玉を持つ8人の武士が活躍するスケールの大きい伝奇ロマン物語である。物語の時期は、江戸時代初期まで10代続く房総里見家の初代・里見義実が、1441年下野の国の結城城落城から、僅かな部下と共に三浦の地から安房(現在の千葉県南部)に落ちる頃から始まるが、この「南総里見八犬伝」の話がスケール大きく展開する上で重要な役割を持つのが、話の冒頭を飾る里見義実の娘・伏姫と里見義実の飼い犬・八房との話である。
下野の国から安房まで落ち延びてきた里見義実が、次第に勢力を伸ばし安房の一部を領するに至るが、凶作の年に敵将・安西景連から大軍をもって攻め寄せられ落城寸前となった。挽回の望みもなくなった里見義実は、「敵将を殺したら伏姫をやろうか」と、飼い犬の八房に戯れ言をいうのであるが、最後の夜と覚悟を決めた時、敵将・安西景連の生首をくわえた八房が城に戻ってくる。大将を失った敵陣は総崩れとなり、里見方の大勝利となった。こうして安西の領した土地を手に入れ、安房国一国を治めることとなった。しかし里見義美は八房との約束を果たそうとしなかったが、娘・伏姫が父を諌め城を去ることになる。八房は伏姫を背に乗せて、安房国第一の高峰・富山に奥深く入っていき、伏姫は富山の洞窟にこもってしまう。やがて姫の身を案じて探しにきた義美主従は、八房を鉄砲で倒すが、伏姫も自害する。この時、伏姫のかけていた「仁義礼智忠信孝悌」8字の8つの数珠の玉が八方に散り、これが八犬士出生の因となる。
この伏姫と八房の異類婚交の話は、実は中国の古代伝説「槃瓠伝説」に由来している。馬琴が「八犬伝」執筆に直接種本としたのは、「太平記」の巻22にある犬戎国の話だと言われているが、この伝説は、史書の「後漢書」や六朝志怪の祖とされる「捜神記」、宋の欧陽脩の「五代史記」などに記されてきた。
そしてこの「槃瓠伝説」と同じ内容の始祖伝説を持ち、犬を神聖視してきたのが、かつて古代中国の楚の国あたりに勢威を奮い、現在は広東省、広西壮族自治区、雲南省、湖南省、海南島、ベトナム北部、ラオス北部、北タイ(主にチェンマイ県、チェンライ県、パヤオ県、ナーン県)に居住しているヤオ族(自称ミェン)である。このヤオ族の始祖伝説とは、「中国の皇帝パンは、長年にわたってカオ王と争っていたが、ついに従えることができなかった。ある日、宿敵の首をもたらしたものには姫をつかわすであろうと布告した。この言葉を、槃瓠という犬が聞いた。槃瓠はカオ王の陣営に赴いて、王を噛み首を中国の皇帝に持っていった。皇帝は約束にそむくわけにもゆかず、姫を槃瓠に与えた。彼らのあいだに6人の男子と6人の女子が生まれた。その子孫がヤオ族になった。」というものである。
尚、馬琴は、この「槃瓠伝説」を借用するが、伏姫は八房とは関係は持たぬが、懐妊する形をとっている。また八犬士の「8」という数字については、房総里見家が、徳川幕府の外様諸侯取り潰しの中で1614年、本領を没収、減封され倉吉に移された後、1622年嗣子なく家名断絶の後、殉死した8名の見家の侍に因ったという説がある。
主たる参考文献:
『南総里見八犬伝考ー馬琴小論ー』(編者:荒川法勝、昭和図書出版、1980年4月発行)
●房総里見家
室町中期に房総里見家を興した初代・里見義実は、結城合戦(1438年室町幕府と反目し管領の上杉憲実に滅ぼされた鎌倉公方の足利持氏の遺児を擁し、1440年、下野の国の豪族・結城氏朝が結城城に立てこもるが、翌1441年結城城陥落)で、結城氏と共に城に立てこもった里見季基の子。
結城落城から僅かな部下と共にからくも脱出して安房に逃れるが、やがて安房一国を平定してその国守となる。
その後、戦国時代の第6代・里見義堯の時に、上総・下総にも勢力を拡大する。
しかし江戸時代に入ると1614年、本領を没収され、倉吉に移され減封となる。1622年には、10世でお家断絶となる。
中国古代伝説
■「槃瓠伝説」
「後漢書」内容は、「昔、伝説時代のことであるが、中国は犬戎(古代中国の西方辺境地帯の異民族の一つ)に攻められ苦しんでいた。そこで帝は、犬戎の呉将軍の首を取ってきたものには、莫大な黄金と領土を与え、美しい少女を妻として授けようと約束した。ある時、帝が飼っていた槃瓠という名の五色の毛並みをした犬が、なにやらくわえてきたので、よくみると、犬戎の将・呉将軍の首であった。しかし帝は槃瓠が犬であることをいやしんで、約束を果たそうとしなかった。ただこの時、妻として与えられることになっていた少女が、帝の約束は相手がたとえ犬でも実行されないと皇帝に対する信頼は失われると帝をいさめた。そして帝は約束を守り、槃瓠は少女を背負って、南山の奥深く入り、やがて彼らの間には6人の男の子と6人の女の子が生まれ、6組の男女はそれぞれ夫婦となった。彼らは木の皮から布を織り、父・槃瓠の毛の色に因んで5色に染めて、犬のように尾のある衣服を作ってきた。これら6組の夫婦の末裔が、古代・楚の国の中心部あたりにいた異族である。」というもの。
●八犬士
・犬江親兵衛・・・「仁」の玉
・犬川荘助・・・・「義」の玉
・犬村大角・・・・「礼」の玉
・犬阪毛野・・・・「智」の玉
・犬山道節・・・・「忠」の玉
・犬飼現八・・・・「信」の玉
・犬塚信乃・・・・「孝」の玉
・犬田小文吾・・・「悌」の玉