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第3話 アジアの夢占い
2000年3月下旬号掲載
コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」
~地域と時代を越えて~ 海の彼方に日本文化の原像を想う
インド文化の影響を受ける前の原始タイ系民族の夢占いとは
むかし、一人の旅人が山の中で野宿をしたところ、明け方に二頭の鹿がひそひそ語り合うのを聞いた。牡鹿が言うには「ゆうべ白い霜が降ってわが身をすっかりおおってしまう夢を見たのだが、どういうことだろうね。」、それにこたえて牝鹿が言うには「人に射られて死ぬということですわ。白い霜におおわれるのは、あなたの肉に白い塩がぬられるからですわ。」。はたしてその牡鹿は、旅人の見ている前で猟師に射られてしまった...。
これは『日本書紀』に見える古いはなしです。むかしの日本人の生活感覚では山の動物はずいぶん身近なものだったのですねえ。このはなしから「鳴く鹿でもないのに、夢の相のままになった」というコトワザができたそうです。仁徳天皇のころの話。
私はタイのバンコクに暮らしています。タイ人たちは、同じ稲作民族・同じ仏教徒などという点から、折りにふれてはいろいろ日本人と比較されることが多いのですが、夢占いはどうか、と考えてみました。
タイ人たちは夢占いが三度のメシよりも好き。会社のオーナーから市場の露店のオバサンまで、老若男女みな一家言の持ち主です。とはいっても、彼らの夢占いのタネはたいてい市販されている各種の夢占いのテキストから拾ってきたものですがね。書店にならんだ夢占いのテキストをとりあげて、最初のページを開けば、「夢は近々起こる良いこと・悪いことを事前に知らせてくれます」という文句で前書きが始まり、夢占いの意義はじつに明快。『日本書紀』に見られる古代の日本人と、現代のタイ人の間には一点の違和感も見られないのです。
夢の中に蛇が出てくると恋人に出会う、血を見ればおかねが入る、指輪の夢は子供がさずかるしるし、わあわあ大泣きした夢を見ると失せ物がでてくる...どうです、生活の匂いがたちのぼってくるでしょう。タイの国はインドシナ半島のほぼ中央にあるところから、名前のとおりインドと中国の文化的な影響をつよく受けています。もちろん、夢占いも例外ではありません。
たとえば火曜日に見る夢は父母の身に起こることを知らせるもので、恋人やつれあいの身に起こることは水曜日の夢、タイの夢占いを支える膨大な数の会社員・工員たちにとって見逃せないのは上司の身に起こることを知らせてくれる木曜日の夢、そして自分の身に起こることは、...土曜日の夢が知らせてくれます。七つの星を配列して1週間にしたのはバビロニア天文学の発明ですが、その本流ははるかむかしにインドに入り、末端の水脈が現代のタイの夢占いの一派に通じています。まさに「歴史とは現在である」と言いたくなりませんか。
インド文化の影響を受ける前のタイの夢占いの源流を知りたい、と思いました。おあつらえむきに、中国の雲南省の西の隅からビルマのカチン州を通過して、近代になってインドのアッサムの北の隅に移住してきた、原初のままに近いタイの生活文化をのこすタイ系の山岳民族がいました。彼らの生活文化を調査したインドの民俗学者の報告には、...夢占いのスペースがちゃーんと割かれていましたねえ。
彼らタイ系のファーケー族の夢占いによれば、夢の中で牛乳を飲むとまわりの人々の間で評判が良くなる、酒を飲むと精神的なストレスが増える、夢の中で蛇を捕らえれば敵の力から自由になり、フクロウの鳴き声を聞くと重い病気におそわれる...どうです、『日本書紀』の世界にかぎりなく近い素朴な生活感覚が感じられませんか。
タイ人たちの間では「おなかいっぱい食べて、よい夢を見る」ことがなによりの幸福とされています。夢もまた生活の重要な一部なのですねえ。夢占いのさかんなアジアの文化の底流には、このような根強い価値観が古代から受け継がれ、現代に生きているのです。