2001年1月号掲載

コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」

~地域と時代を越えて~ 海の彼方に日本文化の原像を想う

前漢末期、倭の百余国による漢への遣使は船団を編成して向かったのか?越人の海人族との関係は?

中国の苗族出身の燕宝は、苗族の伝承を研究した結果、戦国時代の呉は苗族の国で、その国が越に滅ぼされたとき、一部の苗族は日本列島に逃げたと言いました。燕宝はさらに卑弥呼は苗語で「われらが母王」という意味を持ち、また卑弥呼に敵対した狗奴という国名は「男子」という意味だと言っています。呉が滅んだのが紀元前473年、卑弥呼が親魏倭王の金印を拝受したのが239年という記録が中国側に残っていますから、呉の国を形成していた苗族は日本列島に上陸して700年の後に卑弥呼を生んだ、ということになりましょう。彼らは巫術が巧みで卑弥呼のような人が出たとしても不思議ではありません。

漢の成帝の時代(紀元前33-紀元前7年)、倭の百余国が漢に使節を送ったことが、やはり中国の記録に見えます。朝鮮海峡をはさむ地域に住む倭人のたくさんの国がはじめて漢の国に通交したのですが、どのくらいの規模の使節を何回送ってきたかについては詳しい説明はありません。ただ、漢のような大帝国が記録に残すくらいですから、馬に乗っててくてくと乾燥アワビを持って行った程度のものではなかったことは、確かでしょう。

燕宝の説をとれば、呉が滅んで苗族の一派が日本列島に渡って国を建てたとして、彼らが使節を派遣するまでおよそ400年以上かかっていることになります。おそらくは船がなかったのでしょう。滅んだ南越王国や東越王国から越人の海人族がやってくるまでは。

『魏志倭人伝』に見える倭人の風俗・物産は文身・蚕桑をはじめほとんど越人のものです。戦国時代の呉の遺民が日本列島に到達して、南越王国・東越王国の遺民が日本列島に到達しないわけがありません。おまけに新参の海人族は大船で船団を組むことができ、しかも制海権を握っているのですから。呉が滅んだときの数百倍・数千倍の規模で越人の民族移動が行われたものと思います。琉球の神話では最初に彼の島にやってきたのはアマンチューと呼ばれる人たちで、ほとんど神に等しい扱いを受けています。また朴柄植がとりあげた隠岐の島の古書には、先住民の住む島にアマと称するイレズミをした人たちが移住してきて、ついに先住民はその波に呑まれてしまったとあります。海人族は「至って穏やかで漁業に長じ、漁獲物を大量にくれるので」先住民との雑婚がすすみ、年月とともに来住者が増えて、風俗や言語もアマ人のものに化してしまったとその古書は語っています。おそらくは、苗族の住んでいた国にも海人族が押し寄せて、隠岐の島に起こったような文化の変容が進んだものと考えられます。

大船を持った海人族の来住によって朝鮮海峡を中心とする地域の交通の便は一気に高まったことでしょう。なにしろ琉球や隠岐の島でさえ海人族の津波のような移住の記録が残っているのですから。対馬・壱岐をはじめ日本海側では丹波のあたりまで、太平洋側では九州・四国・南紀・東海・伊豆・房総に至るまで、海岸地方の神社を中心とするあたりにはクスノキの森林が繁っていますが、これは海人族が船材を伐り出すために植林したものと言われています。

東南アジアの山岳地帯にはいろいろな少数民族が住んでいてガンコに伝統的な風俗を守り、容易に他の民族の文化を受容しないため、村ごとに風俗が違っていたりしますが、倭の百余国とはそんな感じのものではなかったかと思われます。海人族が連れてきたのは南越王国・東越王国に住む越人を主体とする人たちだったと思われますが、越人にもいろいろあったでしょうし、また少数民族も含まれていたかもしれません。一方、先住民の中には呉の遺民、戦国時代の越の遺民、楚の遺民など、かつて中国に存在した大国からの移住者がいろいろな国を作っていただろうことは容易に考えられます。

また秦の徐福のように海人族の大移動の前に南紀にやってきた人もいるくらいですから、東シナ海がまったくの白地図であったわけではないでしょう。しかし倭人の側から漢に使節を送るには自前の船もなし、漢に対するアピール度に著しく欠けていたのではないでしょうか。海人族がやってくるまでは。

漢が倭の百余国からの使節を受け入れるにあたっては、それが並々ならぬ国であるとの情報を事前に得ていただろうと思います。そして倭の百余国は、堂々南越王国以来の船団を編成して漢に向ったのではないでしょうか。南越王国が滅んで70年あまり後のことになります。 

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