2003年9月掲載
東條英機内閣の下、中国、南方を含めた大東亜地域への政策を一元化するために新設された省
1942年11月1日~1945年8月26日
太平洋戦争開始後の占領地の拡大、膨脹は予想外に大きく、占領地の行政は陸海軍の対立、政府と軍部の意見不一致で混乱がみられたこともあり、従来の拓務省、興亞院、対満事務局、外務省東亜局、南洋局を統合し、中国、南方を含めた大東亜地域への政策を一元化するため、新設の省を、東條英機内閣は計画。従来、外務省が行ってきた一国の外交を地域によって二分し、大東亜地域の外交活動を実質担う省の新設に対しては、外交権の一元化を主張する外務大臣・東郷茂徳の猛烈な反対があったが、東條首相は、大東亜省の設置にふみきり、昭和17年(1942年)11月1日公布、即日施行の勅令第707号(大東亜省官制)により、大東亜省が正式に発足した。尚、東郷茂徳外相は東亜省新設に反対し辞任し、昭和17年9月1日に谷正之が外相就任となったが、鈴木貫太郎内閣の下で、東郷茂徳は外相兼大東亜相に任命されている。
・大東亜省官制(昭和17年勅令第707号) 昭和17年11月1日公布、即日施行
・1942年9月 1日 閣議決定 「大東亜省設置に関する件」
・1942年9月11日 閣議決定 「大東亜省官制要綱」
初代大東亜大臣には、国務相・青木一男氏が就任(同氏は、昭和17年9月17日から昭和17年11月1日まで国務大臣)。大東亜省の陣容は、青木大臣の下に大蔵、外務両省から集めた人材と、発展的解消を遂げた拓務省、興亞院、対満事務局の殆ど全員を網羅して、昭和17年11月1日発令をみた。大東亜次官には、東亜同文書院の出身で生え抜きの外務官僚で昭和17年9月1日から外務次官であった山本熊一氏が青木大臣に懇請され就任。
発足時の大東亜省の機構と陣容は以下の通り。
◆大臣官房:
・文書課(課長:川本邦雄 拓務省官房課長)
・人事課(課長:山中徳二 拓務省官房課長)
・会計課(課長:草山親義 興亞院官房書記官)
・電信課(課長:結城司郎次 外務省通商局第3課長)
大臣官房に審議室が置かれ、参事官6名調査官若干名より成る参事官は大臣の諮問に応じ、特定事項の調査研究または外地との出張連絡などにあたるもの
・大東亜省参事官
松村 (興亞院文化部長)
三浦七郎 (興亜院技術部長)
森重干夫 (拓務省拓南局長)
中野勝次 (拓務省管理局長)
岡崎嘉平太 (民間から、華興商業銀行理事)
杉原荒太
◆総務局:
総務局長・・・竹内新平 (対満事務局次長)
・総務課(課長:杉原荒太 外務省調査部第1課長)
・経済課(課長:愛知揆一 大蔵省外事課長)
・調査課(課長:塩見友之助) ・錬成課(課長:島津久大)
・考査課(課長:山田)
◆満洲事務局:
満洲事務局長・・・今吉敏雄(拓務省拓北局長)
◆支那事務局:
支那事務局長・・・宇佐美珍彦(興亞院部長)
◆南方事務局:
南方事務局長・・・水野伊太郎(外務省南洋局長)
終戦後、第43代東久邇宮稔彦王内閣の下、昭和20年勅令第490号により1945年(昭和20年)8月26日をもって、大東亜省は廃止された。
■歴代大東亜大臣
・第40代 東條英機 内閣 (1941年10月18日成立)
◆青木一男 (1942年11月1日~)
・第41代 小磯國昭 内閣 (1944年7月22日成立)
◆重光 葵 (兼務 外務大臣)
・第42代 鈴木貫太郎 内閣 (1945年4月7日成立)
◆鈴木貫太郎 (兼務 内閣総理大臣・外務大臣兼務) 1945年4月9日~
◆東郷茂徳 (兼務 外務大臣)
・第43代 東久邇宮稔彦王 内閣 (1945年8月17日成立)
◆重光 葵 (兼務 外務大臣)