第19信「ラオス人の電話」「タイ語とラオス語は違う」

(2006年7月号掲載)

2006年7月2日

お元気ですか?
桜ちゃんのパパです。

暑中お見舞い申し上げます。
いかがお過ごしでしょうか?

それでは時候の挨拶と恒例の「ラオスからの手紙」読んでください。
それではお元気で。

     

お話そのー1 ラオス人の電話

 ラオス人の電話のマナーが悪いのは皆も知っての通り。
 ある日の出来事を紹介する。
 Hさんのお母さんが亡くなられたのを聞いたのはKさんからの電話である。
 KさんはJICA事務所で働いている方。Hさんの奥さんは彼の同僚である。

さっそく御通夜や御葬式の予定を確かめるために淑珍に電話をさせた。以下その状況を再現する。

淑珍:ハロー
 この声を聞いたHさんは電話がどこからかかってきたかわかったようだ。続いて
淑珍:コートート、メン・パイ・シア・シービット

 横で電話を聞いていて我が妻ながら思わずぶん殴ってやろうと思った。
 コートート、メン・パイ・シア・シービット 
 これを日本語に訳すと「すいません、誰が亡くなったのですか?」
 相手が日本に帰化した元ラオス人で本当によかった。もし純粋の日本人でこれを日本語で言ったら完全に失礼である。日本的マナーだと以下のようになるだろう。

 最初に自分の名前を名乗って、今電話で話していいか、実は家族のご不幸をJICAの方から聞いたのだが、お悔やみの言葉を言って、というプロセスになるのが日本流のマナーである。それをいきなり「すいません、誰が亡くなったのですか?」では失礼きわまりない。ただこんな直接的な言い方でもラオスでは許されるようである。

 もちろん我々夫婦は御通夜にも御葬式にも両方出席して追悼の意を示している。ラオスの場合は言い方のマナーより気持ち・行動の方が大切なのかもしれない。(ラオスのお葬式、お通夜でもお線香のあげ方、や色々としきたりマナーはもちろんあるが、大切なのは気持ちを表す行動。)

 2月の下旬にラオスに戻って来て、我々夫婦は御葬式には4回も行っている。1回目は近所の子供の御葬式、生後3ヶ月で亡くなった子である。お母さんの妹がうちの家の前のコーヒー屋で毎日ドミノをしているので顔馴染みである。またその弟がJICAプロジェクトで働いているドライバーでもある。
 
 2回目がHさんのお母さんの御葬式である。3回目はサムセンタイ通りにある中華料理屋のおじいちゃんの御通夜である。潮州人のおじいちゃんで、日本人もよく食べに行く有名な店である。華僑なのでうちの兄弟と向こうの兄弟の誰かが寮都学校で同級生になる。

 4回目が、チョームタイ寺の尼さんの御葬式。これは日本に難民として定住した中国系ラオス人Kさんのおばさん(お父さんの妹さん)。若い時に出家してお寺に入って68年目というベテランの尼さんである。以前Kさんから尼さんになったおばさんへ、ということでお金を預かって何回か持って行ったことがある。危篤になってお寺からうちにも電話がかかってきた。そして最近は義父の妹そのだんなさんの弟のお葬式。(いうなれば親戚)
 
 淑珍が言うのには、御葬式は結婚式より大切である。結婚式は招待状があるが、御葬式に招待状はない。すべてその人の気持ちしだいである。ということで電話のマナーは良くなかったが御通夜にも御葬式にも行ったということで良しとするのがラオス流であろう。

むかし義理の母が亡くなった時に、ある日本人に伝えたら「それで?」という顔をされた。今でも覚えているが悔しかった。自分では是非御葬式なり御通夜に出てもらいたかったのであるが。義理の母の訃報を伝えてもその人に気持ちがなければ意味はない。

わたしはどういうわけか電話でしゃべる時はタイ語である。というのはラオス語だとどうも感じが違ってくる。日本語だと、「もしもし、こんにちは、すいません、村山と申します、OXさんでしょう か? ただいまお電話大丈夫でしょうか? じつは、」「もしもし、村山です。こんにちは、OXさんでしょうか、いつも御世話になっています」というような流れになる。

 これをラオス語でそのまま言ってもいいのだが、ラオス人の電話はいきなり「誰? OXいる?」である。日本人みたいにこんな丁寧な電話のかけかたなどしない。そのままラオス語に訳してもなんかおかしい気がする。ということで、ちょっと気取ってしゃべる時にタイ語を使うわけである。

 わたしが家で電話を取るとき「サワディー カップ、 トーマーチャックナイ・カップ、カルナー、ローター・サックルーノイ カップ」というわけである。このように喋ると「こんにちは、どちらさまですか? すいません、しょうしょうお待ち願えますか」というような雰囲気がでてくると私は思うのだが、みなさんいかがでしょうか。

別のエピソードを紹介する。Hさんのお母さんの御葬式に行く前に親戚(義理の父の親戚で苗字が同じ廖)が聞いたチャオ・パイ・サイ「どこに行くの?」パイ・ソンサカーン、ピーノーン・シア・レオ「御葬式、親戚が死んだから」これを聞いて淑珍が怒った。わたしがピーノーンという単語を使ったからだ。Hさんとは日常の付き合いはほとんどないが、25年以上前からの知り合いである。彼らが日本にいるときから知っている間柄だし、また子供が華僑学校、日本語補習校で一緒なので、そういった親しい気持ちをこめてピーノーンという言葉を使ったのだ。

しかしこの場合は使ってはいけない単語だったようだ。なぜなら話している相手が本当の親戚(苗字が廖)であるからだ。つまり廖の親戚が亡くなったというようにとられてしまう。わたしの軽い冗談、親しみを込めた言い方が逆の意味に理解されたわけである。

言葉というのは難しい。人によって色々と解釈が違う。人は冗談で言ってもある人は冗談にとってくれない。そして日本人とラオス人のユーモアの感覚も違う。昔こんな問題があった。くだらないといえばくだらないことであるが。

 私が車を運転して水道局のカウンターパートと現場に出た時である。車の運転を間違えてうまくUターンできなかった。その時に助手席にふんぞり返って座っていたD君 明雄、スー・ペクミー・ユーサイ? 「明雄、おまえ運転免許どこで買ってきたのだ?」

自分で運転しないで助手席でふんぞり返っているくせに、人の運転にケチをつけやがって。長時間の運転で疲れていた私は頭にきて、チャオ・シ・ターイ・パーイ・ナイ・チェト・ワンと言い返してやった。

ラオスの古典、シェンミアンを読んだことがある人はわかるであろう。王様が病気の時にシェンミアンがこのように言った。これを直訳すると「王様は7日以内に死ぬ」である。しかし人間はいつか死ぬ、それは月曜日であろうと火曜日であろうと、一週間のうちのどれか一日である。シェンミアンの言い方は2つの意味にとれる。そしてこの言葉のあやを利用して王様・権力を皮肉っている。シェンミアンの話はラオス人で学校に行ったことがある人なら当然知っている話である。「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版 1998年

これを聞いてD君、烈火の如く怒った。怒るD君に対して「おまえ、これはシェンミアンが王様をおちょくったラオスの昔話だ、冗談もわからないで腹を立てるとは何事だ」と言い返してやった。その後、ビエンチャンに帰る車の中で我々の会話はなかった。そしてまたしばらく我々の間に仕事以外での会話は成立しなかった。

ある本にはラオスではどこに行ってもみな親しくなるとピーノーンという言い方をしてくれる。本当の親戚ではないのだが、仲の良くなった人はすべてピーノーンカンになる。という話を読んだことがある。

むかしサムセンタイの焼飯屋さん(妻の実家)で働いていたお手伝いさんの子供を連れて遊びに行った時の話である。友達に会った。桜ちゃんや蘭ちゃんも一緒だったので、淑珍は桜ちゃんと蘭ちゃんは、「私の子」そしてお手伝いさんのこどもは「ラーン」(この場合は甥、姪)と紹介していた。

日本人なら「うちのお手伝いさんの娘です」とちゃんと説明するのに、このラーンという言い方は便利だと思った。ということでラーンと言われても実際は本当の親戚かどうかわからない。ただ説明を聞くほうもそこまで深く質問しないようである。

ただピーノーンという言葉も、「皆さん」というような軽い意味で使われるようである。ラオ・アイテックで素人喉自慢大会があった。司会者はSSSSというラオスのCD製作するプロダクションの社長さん、社長自らがDJとして活躍していた。彼は「ピーノーン、ウーイ」という感じで見物に来ていたお客さんに呼びかけていた。この場合のピーノーンは「親戚」という意味ではなく「御来場の皆様」という意味になるのだろう。

日本の方は、「ラオス人は親戚同士がお互いに助け合って暮らしているのがラオスの社会である」というようによく言う。これも一部当たっているのだが、親戚だから全部助け合っているわけでもない。同じ血のかよった兄弟姉妹でも知らんぷりをする例もある。なかには嫌いな親戚、仲の悪い親戚もいる。道であっても口もきかない。家にも遊びに行かない。このような親戚もある。ということで日本人もラオス人も同じ人間、馬の合う人もいれば嫌いな人もいる。

お話その2 -次に別の話

 義理の弟(ケック)の親友がカナダから来た。何のまえぶれもなくいきなり寮都の我が家に現れたのにはビックリした。着くなりいきなりミア・コイ・ターイレオ「女房が死んだ」というではないか。キーボー君の奥さんはタイ人で彼は難民としてカナダに定住したカナダ籍の中国系ラオス人である。去年は奥さんと一緒にラオスに来たのだが今年は一人だ。キーボー君と義理の弟のケックは親友で、お互いに俺とお前の仲である。

 キーボー君が来た時、実はわたしは機嫌が悪くムシャクシャしていた。何日か前にカナダから来たベトナム人(元ラオス難民)に失礼なことを言われて気分が晴れなかったのである。そしてキーボー君の大らかで気さくな性格を知っていたわたしは、半分冗談と半分はムシャクシャした気持ちを晴らすためか思わずソムナムナー「ザマー見ろ」と言ってしまった。いきなりミア・コイ・ターイレオ「女房が死んだ」なんていわれてもキーボー君が冗談を言っているのだと思ったからだ。

しかしその後、淑珍が聞いてみると本当に奥さんが亡くなられたのである。キーボー君はタイ人の奥さんとカナダで知り合った。奥さんがどのような立場でカナダに来ていたか、私は知らない。その後、奥さんはビザの問題でカナダにいられなくなりタイに戻った。キーボー君は年に一度タイに戻り奥さんに会う、そして毎月奥さんに送金するという生活を続けていた。去年ラオスに遊びに来た時も、奥さんは体調が悪いようで、ぐったりしていることが多かった。亡くなれたのは肺炎であるが合併症が色々とあったようである。

しばらくして義理の弟が寮都に来た。キーボー君の奥さんが亡くなったことを彼から聞いて「それはよかった、今度は美人な奥さんをもらえ」と言っている。(たしかに亡くなった奥さんは美人ではなかったが。)

 ここまでくると日本人とラオス人はずいぶん違うと思った。日本人だったらいくら親友でも最愛の妻を亡くした親友にここまで冗談が言えるかどうかである。今のさっきソムナムナー「ザマー見ろ」と言ってしまった私でもケックの言い方にはびっくりした。だけどこういった会話がラオス人の飾らない乱暴だけどやさしさの表現かもしれないと思った。

ラオス語は「田舎言葉」かもしれない。「田舎言葉」だから飾ったお世辞や甘い言葉がないのである。だから淑珍やケックが言った言葉もマナーには反するが、それはそれで心のこもったやさしい言葉かもしれない、慇懃無礼とは反対なのがラオスの言い方かもしれない。

お話その3 -タイ語とラオス語は違う

 近所にあるコーヒー屋のノイさんの話をしよう。
 このコーヒー屋はラオスによくある、サパー・カフェー(町にあるコーヒー屋で近所の人が政治談義、近所の噂話などをしに来る。)の1つである。ある日このコーヒー屋にタイ人の団体客が来た。コーヒーを飲んで世間話をして帰って行ったのだが問題が起きた。

 お金を払うタイ人にノイさん「コプチャイ」と言う。タイ人にとってこの一言が気に入らなかった。
タイおばさん:
「あなた、ちゃんとコープ・クンと言いなさい」とのたまった。

 タイ社会でコプチャイは、大人が子供に、社会的に地位のある人が目下に言う言葉である。普通お店の従業員が来たお客様にたいして言う言葉ではない。タイではお客さんにたいしては「コープ・クン」。しかしラオス語では一般的には「コプチャイ」である。タイ人にとって乱暴、失礼に感じるかもしれないがこれで普通である。そして「コープ・クン」はタイ語である。

 もちろんラオス人も「コープ・クン」の意味くらい当然常識で知ってはいるが。ノイさん、このタイ人のお客にずいぶん腹を立てていた。わたしはラオス人だから、ラオス語でちゃんと「ありがとう」と言ったのに、それをあの客は私に「ちゃんと、ありがとうって言え」なんて偉そうに言うのだから。

お互いに言葉がわかるようで実際は分かり合えなかった例である。このノイさん、こういうところではラオス語愛国者ぶりをはっきしているが、実は日常生活での彼女のラオス語にはタイ語がバンバン入っている。

 普通ラオス語では、2人称は「チャオ」である。しかし彼女は仲のいい近所の友達には「トウー」を使う。これはタイのテレビ・ドラマなどを見ているとわかるが恋人や親しい関係の相手に対して言う言葉である。

彼女のラオス語愛国度も少しあやしいのが現実である。そして彼女自身はこの2つの違いを知っているわけだから、危険回避としてラオス語でなくタイ語で「ありがとう」を言っていればよかったかもしれない。客商売としてはしょうがないことである。なにせ相手はタイ語とラオス語は同じだと思っているお客なのだから。そして彼女は毎日タイのテレビを見てこの違いがわかる女になっているから。
 
 このタイ語とラオス語の「ありがとう」の違い、実は基本的な常識である。私自身も昔、日本人と結婚したラオス人に教えてもらったことがある。「村山さん、わたしもタイ人と喋る時は気をつけているの。ラオス語のコープチャイはタイでは目上の人には言ってはいけない言葉だから」

あくまでも私の感じ、見方(ラオス語が母国語ではない外国人としての)だが、ラオス語のコープチャイはあっさりし過ぎていると思う。

 たとえばレストランに行って一緒に食事をするとしよう。お皿をとってあげたり、ナプキンを取ってあげたら、日本語では「あー、どうもすみません、ありがとうございます」とか結構お礼の言葉が長くなる。これを短く「ありがとう」だけでは逆に失礼に感じる。
 
 日本レストランで日本に長くいるラオス人(日本語が上手な方)に、上に書いた状況のもとで軽く一言「コプチャイ」で済まされた時に一抹の淋しさを感じたことがある。たぶん日本語の上手な方だったので、日本語みたいなラオス語でお礼を言われると期待したのである。しかしラオス語では短く「コープチャイ」で普通である。

淑珍に言わせると、タイ語は階級社会の言葉で、タイの社会に階級があるのでそれぞれの身分・地位にあわせて喋らないと失礼になる。それに比べるとラオス語は悪く言えば田舎言葉、よく言えば純朴で表裏がない言葉かもしれない。タイには王様という強い権力(つまり階級社会)があったので植民地にならなかった。逆にラオスの王様は力が弱かったからフランスの植民地になったのかもしれない。

日本人がアメリカに行ってレストランに入る、ウエートレスに「Thank youとは何だ、ちゃんとありがとうございました、と言え」などと言えるだろうか。また海外旅行で韓国に行って「ありがとうございます、と日本語で言え」と傲慢に言うのと同じである。タイ人の植民地主義なのか、ラオスに来て威張らなくてもいいと思うのだが。ラオス語とタイ語は別々の言葉だと考えないといけない。

おたがいに言葉がわかりあえるのはいいことだが、逆に悪いことも生じる。相手が何を言」っているのかすべてわかるので性格がどんな人か、いいか悪いかすべてわかってしまうのも良かれ悪しかれである。その人がいい性格の人ならいいのだけど、逆に言葉がわかってしまって悪い性格が全部わかったら悲惨だ。

わたしの経験を紹介する。淑珍と一緒にお葬式に行った時の話。中国人のおばさんと淑珍が話しているのを横で聞いていて
中国人「ところで、あなたの旦那さんはラオス語できるの」
淑珍「通訳やるくらいだから私より上手よ」
中国人「それだったら悪口言えないはね」

これを聞いてわたしは頭にきた。

「ラオス語ができなかったら人前でも悪口言っていいのか?」おばさんは「そういう意味でいったのではなく、軽い冗談で言ったのよ」

 この話には伏線がある。
 日本人とラオス人の奥さんがラオスに遊びに来た。彼らは日本で知り合ったカップルで奥さんのお里帰りに旦那さんも着いてきた。日本人とラオス人のカップルということでちょうど我々もタードウアに往く用事があったので誘って一緒に遊びに行く事にした。たまたまカナダから奥さんの親戚(お姉さん夫婦)が遊びに来ていたので彼らも一緒に乗せて行く途中の話である。
 
 私と淑珍の話はラオス語、中国語、日本語が混じる。華僑の会話でも中国語が混じるので、われわれ夫婦の会話は3カ国語のチャンポンになる。ラオス語で発音しにくい単語など、日本語になったり、これも会話の流れで別に意識しているわけではないのだが。おそらく純粋のラオス人やベトナム人は、日本語や中国語の部分がわからないので、会話の全部の内容をキャッチするのは難しいだろう。

カナダから来たベトナム女性は、わたしの妻に「あなたの旦那は、何年ラオスにいるの? 10年もラオスにいるのにラオス語がおかしいね」

私は車を運転しながらこの会話を聞いていたが、この場で車を降りてもらおうと思った。どうも言葉の上手い下手について、この国の人ははっきり言うようだ。ただいえることは外国語の発音がいいことは、美人に会うのと同じである。

 最初の印象はいいが、はたして性格までいいかどうか、そして外国語の発音はいいが内容がおかしい場合もある。しかし世の中、見た目と第一印象は肝心なファクターである。外国語を勉強する際は、発音はきっちりとやっておくべきである。わたしも結構この点については後悔している。

昔こんな話があった。ラオスに来てまだ3ヶ月くらいしかいないある日本人に「あなたはまだラオス語が下手だ、Xさんは貴方より上手だった」と私と同期の協力隊員が下宿の娘に言われて落ち込んでいた。

Xさんという方は本人の努力もあったろうが、語学の才能のある人だった。彼女についてはこんなエピソードがある。ラオスに来て2年目くらいの時、仕事である村に行った。村のおばさん「あんた、どこから来たの?」Xさん「日本から」おばさん「あんた、年上の質問には冗談言わないでちゃんと答えなさい」と怒られたらしい。Xさんのラオス語が完璧で容貌もラオス人に似ていたので、Xさんのことをラオス人と勘違いしたらしい。

 ただXさんはすでに2年近くいて、協力隊員の人はまだ来て3ヶ月である。単純に比較するのはどう考えてもおかしい。またこういうことは言われる本人を傷つけるだけで何の意味があるのか私には理解できない。おそらくこういう失礼な発言をするのは、外国語を勉強したことがない人が口にするものであろう。大人に成ってから自分で苦労して外国語を身につけた人なら、自分の母国語と全然違う発音・文法体系の言葉を勉強するのが如何に難しいかわかるはずである。

わたしの経験では目の前で悪口を言われていると、決してその言葉がわからなくてもわかるものである。会話のなかで自分の名前が出てくると耳をそばだててリスニングするのは人の常である。まして言葉がぜんぶわかるラオスとタイのばあいはどうだろう。ということでコーヒー屋のノイさんの事件が起きるわけである。

こういうこともあった。毎日夕方に散歩する。その日はトンカンカム市場を歩いていた。前から痩せたおじさんが歩きながら私に話しかけてくる。「ムン・スーニャン」ムンは「お前、キサマ」スーニャンは「何を買うの?」という意味である。ただしこの「ムン」というのは非常に失礼な言い方である。普通は兄弟のようによっぽど親しくないかまた喧嘩でもしない限り言うべき言葉ではないのだが。

 最初に私は「ムッシュー」かと思った。これはフランス語のムッシューで、外国人を見ると売り子のおばさんはこのように声をかける。ただこの痩せたおじさん、何回も「ムン・スーニャン」と言った。わたしはこのようなタメ口、失礼な言い方ができる人だからきっと以前、どこかで一緒に仕事をした人だと思った。とはいえあまり人の顔を覚えるのが得意ではない私にとってどこの誰だかすぐにわからない。「チャオ・スーニャン」あなたの名前はなんですか?と訊いてもおじさんは笑いながら答えてくれない。そしてそのまま歩き去って行った。今でもよくわからない。あの人はいったい誰だったのだろう?

 ラオス人は知っている人に路で会ったら挨拶するのだが、自分が知っている、覚えていれば相手も知っていると解釈して名前を名乗らない。あんな乱暴な言い方で話し掛けてくるくらいだからきっと私と親しい間柄だった人だろう。言葉がわかってくると悩みも増えてくる。

挨拶で思いつくのが近所の子の教育・マナー・しつけ。我が町ドンミアンはラオス人、華僑、フォンサリーから来たホー族、雲南から来た新華僑がまじわって住んでいる。近くに華僑学校があるので近所の子供で華僑の子は寮都学校にかよう子が多い。

愛娘の桜ちゃん、蘭ちゃんの友達も華僑やラオス人と華僑のハーフが多い。近所の子供たちどうしで遊ぶのは世の常。お互いの家に遊びに行くのはいいのだが挨拶が全然ナイ。いきなり家に入ってきて、テレビを見たり、ベットに横になったりは当たり前。わたしは家の主だから、人の家に来る時は「サバイディー」の一言があってもいいと思うのだが、私の顔を見てもいっさい無視である。

子供の躾はどうなっているのか、「親の顔が見てみたい」そう思っていると、人の家に遊びに来ても挨拶もしない娘の親が、サムセンタイの義理の父が病気で寝ているとお見舞いに行ってくれるのだからよくわからない。ラオス人でも中国人でも友達のお父さん、お母さんが病気だとよくお見舞いに行くようである。こういったやさしい気持ちもあるのだが、こどもが他所の家に遊びに行っても挨拶もしない。ラオスに長く住んでいるとよくわからないことが多々ある。

私が住んでいるドンミエン町はコミュニティーがしっかりしているというか仲がいい。常日頃の交流がある。フォンサリーから来たホー族の連中は彼らだけのグループで、他との交流はほとんどないが、うちの近所は毎日、近くのコーヒー屋に人が集まってお喋りしたり、博打したり、マニュキュアをしたり、醤油の貸し借りもある。

 わたしの家ではよくお茶を飲むのだが、私が一杯飲むだけの分量ならお湯を沸かすのがもったいないので、前のコーヒー屋からお湯をもらってくる。そうなると前の家の娘は私の家に来ても挨拶はしない。おそらくワイ・ノップといった挨拶は、はじめて会った時にするだけで近所の親しい間柄ではしないのがラオスの習慣だろう。しかしいくら近所で顔見知りの間柄とはいえ「サバイディー ポーサクラ」の一言くらいは言ってもらいたいのが私の気持ちである。

ラオスでも高給住宅地域は、洋館で高い塀と門があるようなところはまた違うだろう。我が家はタウンハウスのワンブロックで、柵とドアはあるが、ブザーを押して中に入るわけではないので、外部の人間も出入り自由である。おそらくラオスでもこのような高級住宅地の人はちゃんとしたマナーがあるのだろう。

この7月でラオスに来て丸15年が過ぎました。もちろん15年ずっと住んでいたわけではなく、途中何度も日本に仕事をしに行ってましたし、外国にも仕事で行きましたから。ただし日本での仕事もラオス語を使うものでしたから、かなりラオスについて経験することが出来たと思います。

長女もこの7月で12歳です。本当にあっという間の15年でした。

それではお元気で。

(C)村山明雄 2002- All rights reserved.

村山明雄さん(むらやま・あきお)
(桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人)
シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。<連載開始時>
奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ
地下水開発エンジニア (電気探査・地表踏査・ 揚水試験・電気検層・ 水質検査)
ラオス語通訳・翻訳、 エッセイスト、経済コンサルタント、エスペランティスト、無形文化財上総掘り井戸掘り師
著作「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版、翻訳「おいしい水の探求」小島貞男著、「新水質の常識」小島貞男著

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