犬を始祖とするヤオ族の古代伝説 ▼ヤオ族
漢籍「後漢書」に、興味深い古代始祖伝説が記載されている。「昔、伝説時代のことであるが、中国は犬戎(古代中国の西方辺境地帯の異民族の一つ)に攻められ苦しんでいた。そこで帝は、犬戎の呉将軍の首を取ってきたものには、莫大な黄金と領土を与え、美しい少女を妻として授けようと約束した。ある時、帝が飼っていた槃瓠という名の五色の毛並みをした犬が、なにやらくわえてきたので、よくみると、犬戎の将・呉将軍の首であった。しかし帝は槃瓠が犬であることをいやしんで、約束を果たそうとしなかった。ただこの時、妻として与えられることになっていた少女が、帝の約束は相手がたとえ犬でも実行されないと皇帝に対する信頼は失われると帝をいさめた。そして帝は約束を守り、槃瓠は少女を背負って、南山の奥深く入り、やがて彼らの間には6人の男の子と6人の女の子が生まれ、6組の男女はそれぞれ夫婦となった。彼らは木の皮から布を織り、父・槃瓠の毛の色に因んで5色に染めて、犬のように尾のある衣服を作ってきた。これら6組の夫婦の末裔が、古代・楚の国の中心部あたりにいた異族である。」というものである。
また大林太良氏は、その著『神話学入門』で、現在広東省、広西壮族自治区、雲南省、湖南省、海南島、ベトナム北部、ラオス北部、北タイ(主にチェンマイ県、チェンライ県、パヤオ県、ナーン県)に居住するヤオ族(自称ミェン)の始祖伝説を紹介しているが、ほとんど同じ内容で、「中国の皇帝パンは、長年にわたってカオ王と争っていたが、ついに従えることができなかった。ある日、宿敵の首をもたらしたものには姫をつかわすであろうと布告した。この言葉を、槃瓠という犬が聞いた。槃瓠はカオ王の陣営に赴いて、王を噛み首を中国の皇帝に持っていった。皇帝は約束にそむくわけにもゆかず、姫を槃瓠に与えた。彼らのあいだに6人の男子と6人の女子が生まれた。その子孫がヤオ族になった。」というものである。
これと関連して、民族学者・谷川健一氏は、「犬と女とが結婚して、その間に出来た子孫が栄える話は、沖縄の与那国島や宮古島にもあり、宮古の人間は犬の子孫だなどと現在でも言っている」とその著『黒潮の民族学』で語っておられる。
犬を神聖なトーテムとする社会・信仰意識(古代原始社会において、種族や氏族の共同体が、自らの存在の起源とみなす、動物や植物、あるいは物を神聖視し、それを仲立ちに共同体を維持する意識)や、古代中国の楚・呉・越などに代表される中国・中南部の勢力基盤の基層であったはずの非漢族の動きは、別途見ていきたい。
(参考図書『環東シナ海の神話学』(田中勝也、新泉社、1984)
ヤオ族
主として南中国(広西壮族自治区、広東省北部、湖南省南部、貴州省東部、雲南省東部・南部)と東南アジア大陸部(ベトナム北部、ラオス北部、タイ北部)の山地地域に分布する民族。言語はミャオ・ヤオ語派に属するミエン語(自称ミエンなど)。ヤオ族は、中国南部と東南アジア大陸部の山地で主として焼畑耕作を営み、陸稲、トウモロコシなどを栽培してきた。焼畑耕作にともなう移住と、他民族との軋轢や災害などを避けるための移住とを繰り返し、現在のような広域にわたる分布を示すに至った。
ヤオ族は漢族との接触・交通が長く、文化的にも漢族の影響が強い。同居魚影響も著しく、ヤオ族(ミエン族)の世界観と儀礼体系をヤオ道教という研究者もいる。現代中国では瑶族と呼ばれている。
東南アジア大陸部に分布するヤオ族の多くはミエン語系統の言語を話すが、そのなかでもアイデンティティを異にするいくつかの民族支群に分かれている。インドシナでは、フランス植民地行政の側からはマンManと呼ばれていた。現在ベトナムでは、ザオ族Daoと称されている。
『世界民族問題事典』(平凡社、1995)